見出し画像

わたしの旦那さんは変だ。〜タオル掛けはかくあるべき〜

わたしの旦那さんは変だ。

突然、悪口みたいに書くが、それ以外のいい表現が思いつかない。(「変」の定義は人ぞれぞれなので、彼のほうも私のことを変だと思っているかもしれないけれども。)
ただ、彼のために、そして私のために言っておくと、彼は底抜けにいい人なのである。


しかし、結婚してこのかた珍事件ばかりが続く。そして今後も続き続けるだろうというのが想像に難くない。あまりに珍事件ばかり起こるものだからもうすでに忘れてしまったものもある。だから、将来くすりと笑うためにこれまでに起きた珍事件のいくつかを備忘録としてここに書き残しておこうと思う。
ひとつ申し上げたい。これから記す件については、私はおおいにイライラした。これについてくすりと笑えるようになったのは、この珍事件が過去のこととなった最近だし、もしもこの拙い文章を読んで面白い、と思ってくださる方がいらしたとすればそれは他人の話だからである。ちなみに私も、他人の話であったら大いに笑ったことだろう。
 

タオル掛けのこだわり

結婚してすぐ、どんな夫婦でも(または同棲カップルでも)育った家庭の違いによる、プチ常識の相違という壁にぶつかる。
私の記憶では、我が家の最初の違和感は、タオルの掛け方であった。
私の実家では、フェイスタオルの掛け方は、短辺を半分に折り畳み、タオル掛けまたは戸棚の取手に長辺が半分になるように引っ掛けるという方法を採用していた。
つまり、わたしの常識ではこれがタオルのごくごく一般的な掛け方だったのである。

我が家では、仕事の都合で私のほうが起床が早く、帰宅が遅い。
朝、起床して、顔を洗い、私は私の常識に則ってタオルをセットする。そして仕事に行く。夜、帰宅して、手を洗い、手を拭こうとタオルを手に取ると、タオルがぼろん、と取っ手から(現在の我が家では戸棚の取手を活用している)零れ落ちてくるのだ。
彼は、私が出かけた後、起床して顔を洗い、私が私の常識に則って掛けたタオルを、今度は彼の常識に則って掛け変えている。彼の常識によると、タオルは6つに折りたたまれた状態(ご家庭でよくたたまれているあの形)で引っ掛けられている。そんな状態で、取手の狭いあの空間にぎゅぎゅっと押し込められているものだから、ちょっと触れるだけでぼろんと落ちてくる。なんだったら、触れてもいないのに落ちている。

私に言わせてもらえれば、いちいち掛け直さなくていいし、ぼろんと落ちてきたりもしないし、私の掛け方のほうが合理的だし衛生的だと思う。
結婚するまではまさか自分でもタオルの掛け方にここまでこだわりがあるとは思いもしなかった。というか、一人暮らしではタオルの掛け方に疑問を持つことがそもそもない。しかし、私はどう考えても合理的かつ衛生的な私の掛け方を我が家の常識として浸透させたかった。そこで、私は3か月ほど、それはもう頑なに、気付け!と無言で、私の常識に則ってタオルを掛け、そして掛け直し続けた。

現在、我が家のタオルは6つ折りで取手にぎゅぎゅっと押し込められているときもあれば、短辺を半分に(以下略)掛けられているときもある。お気づきのとおり私は負けた。もう面倒くさくなって折れた。生活をし続けているとだんだんどちらでもよくなることは存在するものだ。なんなら、ぎゅぎゅっと押し込められたタオルを落とさずに使用する技術も身についた。けれども、私はまだ諦めきれずぐずぐずと私の常識をひっそり訴え続けている。