不平不満を言っている暇はない~日本講演新聞

日本講演新聞は全国の講演会を取材した中から、為になること心温まるお話を講師の許可をいただいて活字にし、毎週月曜日、月4回のペースで発行する全国紙です。 

お寺の住職は職業柄、「人の死」という人生で最もつらく、悲しい場面に直面した人たちと向き合わねばならない。
時には「話を聞いてほしい」と、いろんな人がお寺を訪れるが、楽しい話を持ってくる人はあまりいない。

 福岡県北九州市にある天徳山金剛寺の住職・山本英照(やまもと・えいしょう)さんは、背負いきれないような重い宿命を受け止めて生きる人たちとの出会いを『重いけど生きられる』『あなたがいるから生きられる』という2冊の法話集にまとめた。
「奇跡のような話が本当にあることを伝えたくて」と英照和尚(おしょう)。

 今でも和尚の脳裏に焼き付いて離れない葬式の場面がある。

 遺族席には10歳の長女を頭に、8歳の次女、5歳の長男が座っていた。
和尚は3人に優しい言葉のひとつでも掛けてあげたいと思ったが、気の利いた言葉がなかなか見つからなかった。

 3人にはこんな事情があった。

 ある時、住んでいた家が道路拡張工事に引っかかり立ち退くことになった。その際、二千数百万円の立ち退き料が支払われた。

 ところが、その金を持って父親がどこかに消えた。残された母親と3人の子どもは住む家も、行くところもなく、畑の中の農具小屋に身を寄せた。

 半年の月日が流れた。どんなに貧しくても一緒に暮らしたいのが親子の情だが、これ以上、わが子を電気もガスも水道もないようなところに置いておけないと、母親は、3人の子どもを遠方の施設に預け、自分だけその掘っ建て小屋に戻った。

 その後、母親は持病の糖尿病を悪化させ、医者にかかれるお金もなく、小屋の中で1人さびしくその生涯を閉じた。

 英照和尚は、3人の子どもたちに「強く生きていきなさいよ」という言葉を絞り出した。5歳の男の子が拳を握って、涙をこらえていた姿が今でも目に焼き付いているそうだ。

 金剛寺では毎年8月下旬に地蔵盆(じぞうぼん)法要が開かれる。その際、初盆を迎えた家族のために、葬式で使った白木のお位牌のおたき上げが行われる。その年、3人は遠くの施設からやってきた。

 法要の最後にある抽選会で、5歳の男の子が1等を引き当てた。
男の子は賞品を和尚に見せながらこう言った。
「これ、お母ちゃんがくれたんでしょ」

 その後も3人は事あるごとに母親の供養のためにお寺を訪れた。

 6年が過ぎ、長女は16歳になった。高校には行かなかった。
理由を尋ねた和尚に長女はこう話した。

 「いつまでも施設の世話にはなれません。もう働けますので。生意気に聞こえるかもしれませんが、大人の世界に入って思ったことがあります。不平不満や文句の言える人は幸せな人だと思います。まだ後ろに余裕がある人なんだなって。私にはそんな不平を言う暇はありません。今は一生懸命働かんと。何をするにもお金が必要です。妹と弟がいますから」

 英照和尚は次のような言葉でこの話を締めくくった。

 「こんな人生を歩むことを定められた子どももいることを、そして彼女が言った言葉を、あなたの心に留めておいていただければ、と思います」

 一つの命が誕生したら、一つのドラマがゆっくりと始まっていく。
自我の目覚めは、「このドラマの主役は自分だ」と自覚したときなのだと思う。

 そして、「人生」というドラマには、時々極悪非道の「役」をもらった人が登場するものである。その時、周りの人はいろいろ言うだろうが、「主役」になって、後に幸福を掴んでいく人はブツブツ言わない。

 その16歳の少女もそうだった。「あの父親のせいで高校に行けなかった」などと悪態をついたり、親のいない不遇を嘆いたりしなかった。
そんなことを言っている余裕などなかったのだ。

 不平や愚痴や文句を言う人は、不平や愚痴や文句を言う暇と余裕のある人なのだと、少女に教えられた。

(2016年10月17日号 魂の編集長・水谷もりひと 社説より)


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