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「夢/虚栄心・謙遜心/虚無」という幻想構造



  私達は事実のない世界で生きている。

「夢/虚栄心・謙遜心/虚無」


現在、集合意識の元である個の人間の意識(心)は、この構造で成り立っています。

全て幻想であり、所謂、お花畑の脳と心。

幼少時より、夢を持たなければならないと強制的に教えられた。自身では納得がいかないままの「将来の夢」の発表会。親や周りから言われ、サッカー選手や野球選手、YouTuberなど、本心にもない、または理論もない、神がかりでないと到底できそうにない夢を与えられてしまった。

その夢に向かっているわけだが、サッカー選手を諦め、スポーツを諦め、大学の専攻も自分に合ったものがわからず、とりあえず試験の為に勉強するも結果は希望校から外れていく。。

夢や目標を都度設定し直して、情けない自分にも強みを見出して長所としていく過程で、虚栄心が生まれていく。

再設定した夢が順調に叶いそうになったとき、仮にアクシデントが起こった場合、夢どころか自身の体調も優れず、生活が一変したとしましょう。
何故自分は運が悪いのだと、心は落ち込み思考能力を失って、虚無に陥ることでしょう。

生活が元通りになり、また虚栄を張ることで自我を取り戻し、社会に復帰ができた場合も、今度こそはとまた夢を追う。

そんな大事でなくても、僅かな想いが叶わなかった時でも、想った分だけ落胆してしまいます。

夢・虚栄心・虚無は幻想であり、全くと言っていいほど、自身の内外の事実を認識していないのがおわかりでしょうか。

夢や理想、願望を持つ場合、そこに辿り着くまでの論理がしっかりと構築されていなければならならず、計画の何処かに落ち度があったらそこには辿りつく事はできません。

幾通りかの道を構築させ、シュミレーションや分析、どこかで失敗する可能性やその蓋然性、それを補うモノなど、完全にそこに辿り着けなければ、夢を見てはいけない。

また未来に描く夢や想いは、そう成る蓋然性と、そう成らない蓋然性、その時に発生する感受性も想像しておくべきです。

何故ならば、高い夢を見たほど、それを信じたほど、同じくらいの深さの虚無に陥るからです。

あらかじめ、そう成った時の事も想像しておけば、落胆や、歓喜はない。平穏との差異が苦を生み出すのです。

もし虚無に陥ってしまったら、どうして落ち込んでしまったのか考えるべきです。虚無は夢の真逆の位置で、ネガティブな幻想を見ているだけなのです。

虚栄心は自身のエゴであり、同じ人間を能力の差や年齢、地位などで上に見たり下に見たり、心の中は争いが絶えない。

あいつは俺より能力が劣っているという虚栄心。
あの人の方が地位が上だから優れていて頭が上がらないという謙遜心。

虚栄と謙遜はそのような幻想を自分の心に押し付けているのです。

社会的には強制的なそれらがあるかもしれないですが、個と個ではどちらが上か下かなど、人間という生き物の中には存在しない。

人間には他者との違いがあるだけで、違うという事実を認めれば良いだけなのです。能力や地位が違うと何が違うのかを理解し、事実を確認する。

また他にも自他に違いがないか調査し分析しておく。


全ては意識する心の在り方になってきます。

自身や社会を客観的に見て、あらゆる角度から事実を認識・把握する事で、心は安定していきます。

事実ベースで生きることで、騙されることや、突飛な欲望を持ったり、無謀な行為をする事なく、苦悩や苦痛は劇的に減って行くと思います。

「夢/虚栄心・謙遜心/虚無」という幻想構造はなくなり、自身の事実、世界の事実や実体が理解出来るようになり、物事を深く見つめると、あらゆる構造が見えてきます。

事実(外)/事実(顕在)/事実(内)

もうこれは真理に辿りつきそうですね。




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