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美しさとは何か



という思惟をすると、
全ての学問や、〜シズムといわれる思想に於いても、言語化であり、より美しい言語を人間が創り出し、それを人間の外に置いた。

芸術に於いても、自然を模倣し、人間の想像により自然を超えた美しさを創り出し、人間の外に置いた。

人々は「それら」を自分の外界に求めるようになったのだ。(物質化)

仏教、哲学、科学、神学、思想、文学。

観念、有から無の構造の概念や仕組みが仏教、
心の動き、思考の動きは哲学、
物理理論は科学、
内外界の圧力的感覚は神学、
嗜好(思考)の偏見は思想、
根源欲に苛まれる姿は文学、

と、個人に関わる一つのものが、ジャンル分けされている不思議。この不思議は、高校時代の強制的にさせられた世界史・日本史の選択や文系・理系のそれに酷似している。

個の人間はジャンルに分かれてなどいない。
全てがミックスされているカオスで出来ている。

一般と呼ばれる人々はこれらの学問からは乖離されている。良くても一つの分野の専門性があるだけだ。よく耳にする、「私の専攻は〜ですから、〜のことはわかりません」という発言。

全てをわからなければならない。乖離されていてはならない。全て理解して体現出来ないから病いが発症するのだ。

最早、学問などなくていい。
私がそうであったように、

個は自分に帰れば、それら全てが自分の中にあるとわかる。病気や苦悩は、「自分がわからない」という不安から発生する。学問などなくとも、「それは何か」という追求により、全てを知ることが出来るのだ。

美しさと醜さ。その差異に付けられた付加価値を承認、認識し、それらを欲求することにより、発展した物質は、美しさだけを求め、醜さを乖離させ隠してしまった。

美しさを表面化させる人間には、醜さ、卑しさがある。必ずカラダの中にある。

乖離してしまったものは、
「苦」となり表面に現れる。

美しさとは醜さ卑しさであり、どちらも人間が抱く幻想。元来その区分はない。善悪もないのだ。


ただ価値なく此処に在る。
ただ在るだけの美しさに気づくことで、

絡まりは、自然にほどかれて行く。




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