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私は会食恐怖症

昨日、私の病歴を紹介したのですが、
会食恐怖症を忘れていました。

まず、きっかけになったのが
給食に出てくる、牛乳、グリーンピース、ピーマンが嫌いで、掃除の時間になっても埃が舞う中、
居残り泣いていました。
グリーンピースは食べようとしましたが嘔吐してしまい、それから見るのも嫌になりました。
牛乳は飲むと下痢になってしまいます。
乳糖不耐症です。

この3つは未だに食べられません。
そして「ご飯は残さず食べましょう」のフレーズも大嫌いです。子供にプレッシャーをかけてる事に大人は気づかないのでしょうか?

小学校6年間は給食の献立を気にしながら生きていました。大嫌いなモノばかりの日は学校を休んでいました。
母は私の頑固さに負け、許してくれていました。

中学は一緒に食べる人、1人で食べる人、それぞれだったので、私は気にせず、1人で食べていました。

高校に上がり、壮絶なイジメに合い教室にいるのが苦痛で仕方なかったのです。
3年間トイレ飯でした。
お昼はトイレと図書室の誰もいない所にいるのが、1番ホッとしました。

小学校の時から家で誰かと一緒に食べるという習慣がありませんでした。
大学に上がると、ますます生活時間が違うので、
1人で食べていました。

就職してから、会食恐怖症だと気づきました。
お昼休みに、先輩と一緒に食べるのが苦痛で休んだ気にならず。
忘年会とかも、苦痛しかなかったです。
何も美味しくない。

このあたりから、母と夕飯のタイミングが同じだったのですが、それも苦痛で自室にこもって食べていました。
最初、母に反対されましたが、そのうち何も言わなくなりました。

高校1年生から摂食障害を患ったのですが、
きっかけは母の一言でした。

「吐けば、太ることない」
非常にショックでした。

最初は拒食症だったのですが、
高校生3年生になる頃には過食嘔吐していました。

とにかくたくさん食べたくて、
氷をガリガリ食べたり、
家の中にあるものを、こっそり盗んで調理したり食べていました。
母にお弁当にするつもりだったとか、
明日のおかずにするつもりだったのに!とか
怒られて、餓鬼と言われました。

そんなこんなで、今も摂食障害だし
(高校生の時より頻度はかなり少ない)
会食恐怖症も治っていません。

次回は、
地図が読めないリアルデュフフの話をしますね。

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