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賤(しず)ケ岳・余呉湖 (夏)

古の戦さ場

(タイトル変更しました)
noteを始めた頃、とりあえず何か書いておこうと、ずっと以前 秋の終わり頃、滋賀に旅して来た時に撮った写真に、その地の歴史を少し添えたレポを置いたもの。

撮影した この当時(2011.晩秋)は、その場所が「尾の呂が浜」と言う「賤ヶ岳の戦い」の火ぶたが切られた場所 とは 夢知らず、後に調べて 知って驚いた。

ちなみに現在は、こんな雰囲気。⬇︎

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春には、この公園いっぱいに「余呉の八重桜」が咲き誇る。

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賤ケ岳の山陵(TOP画像 右奥頂上と下画像)⬇︎には、ちょうど山の向こう側に当たるR-8号線沿いから  リフトに乗って登れるようになっている。

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激戦で活躍した「七本槍と言われた武将たち」の いわれも書かれていて、その場所からの眺望は、南側は浅井三代の小谷城跡と 伊吹山・霊仙山も見える。
山歩きの縦走路が続く山本山への稜線や、長浜の町から琵琶湖までの町並みと湖畔線が美しい。

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余談であるが
過去に浅井三姉妹のドラマか何かあった時期、旅の途中でふらりと滋賀に寄って 何気に歴史を追っていたら、たまたま行き合った(と言うか、そこに小谷山があった) 縁もあり、秋の真っ只中に、小谷城址へと登山することになった(@@;)

途中までバスだが(笑)

バスを降りて黒門後からは、当時のままを保存すると言う事で、細く急な山道で、フラリと気ままに立ち寄る気軽さが吹っ飛んだ。

その分、当時の武将や腰元たちの辿った道を歩いていると思えば、姫気分(単にお調子者)

ここでも激戦の跡を
見る事になる。が、姫たちの見た風景 四季の全てに訪れてみたい場所だった。

下りは写真を撮りながら歩いた。歩くとかなり遠い(泣)

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話を戻す。
 余呉湖の周囲の山中には、対戦した各武将の陣地跡が多く、土塁や曲輪の跡が当時のまま保存されている。

暑さ、三密…
ストレス満開のこのお盆、

琵琶湖畔の幹線道路は 朝と夕方にダダ混みだったけれど、脇道オンリーで日中 避暑に出かけるには何ら差し障りなく、ストレス解消に 昨日も4時間ほど走って来た。

福井県との県境も近く  冬は閉鎖される道もあるけれど、スキー場がいくつかあり、夏でもなかなか涼しい地。

この「余呉湖」クルンと一周しても1時間かからない。

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この時期は 岸辺に水草が 美しく、その間に映る青い空と雲も模様になる。


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公園でシートを広げておにぎりを頬張っている人、
又 少し行くと湖畔の木陰にバイクを停めて、1人用のシートを広げてベタッと寝ている人、

その 少し向こうで 釣りをしている子供づれ、
その横のテントで ママだけ何か食べていたり、

昨夜から来ているらしき大きなテント3基は、ゆうに10mは間隔を開けて設置していた。

色々と大変なこの夏だけど、みなさん 良い想い出を作っていただきたいな と念じつつ通り過ぎた。

湖畔の入り口付近に宿泊施設や売店、大きな駐車場や自動販売機はあるが、奥に向かうにつれ  要所要所に整備された公園と東屋と🚾が何ヶ所かあるくらいで、静かに風が行き過ぎる合間には 星の煌めく音さえ聞こえそうなほど 静か極まりない。

ここから賤ケ岳中腹までが激戦区(選挙ではないが)で、余呉湖が双方の兵士の血で真っ赤に染まったと、当時に書き記された文献があるのだそうだ。

余呉を渡る風が何気に泣いているように聞こえるのは、歴史に耳を傾ける者でなくとも  切なく寂しい想いが迫る。

に しても、美しい良いところだ。

冬はとてもとても星が綺麗で、お笑いさんでキャンプ好きが嵩じた事で有名な某キャンパーさんがお好みな場所だと どこかで聞いた事がある。

私がnotoを始めるきっかけとなった写真家さんのお写真も拝見したが、風のない日は  別名鏡湖」と言われる その滑らかな湖面に映る  降るような冬の星の画像は、宇宙が迫るような臨場感で 美しい余呉の一場に浸れた気分をいただいた。

残念ながら、私が訪れる日はいつも、さざ波が美しい模様を繰り広げ、なかなか湖面の優しい微笑みを見る事ができない。

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拙い文章です。サポート頂くことは考えておりませんが お心遣い下さった方へ、心から感謝申し上げます どうかこれからも暖かく見守っていただけますように。