専業主婦が円満離婚できる幸せ

 先日、同僚とオンライン飲みで結婚についての話題になりました。その中で『専業主婦』について意見が交わされました。そこであれこれ考えてみました。

1:専業主婦という選択肢を残したい男たち

 子供が生まれたばかりのAさん(♂)は、外で働くのも専業主婦になるのも奥さんの考えを尊重すると言いました。

 新婚で子供はいないBさん(♂)は、Aさんに同意しました。

 独身のCさん(♂)は「もし結婚したら」という前提で上の意見に同意ししました。

 独身のDさん(♀)は専業主婦になることは望まないと言いました。

 独身のEさん(♀)はどちらでもいいと言いました。

 わたしは専業主婦になるリスクを感じているのがDさんひとりであることに違和感を覚えました。

2:コロナ禍で見捨てられる専業主婦

 テレワークが推進されている昨今、家庭不和に苦悩する専業主婦が増えているらしいです。「当事者同士のコミュニケーションの問題」として片付けてしまうのは楽だけど、そもそも専業主婦というライフコースを選択するリスクについて日本人は無関心過ぎたのではないでしょうか。

 コロナ禍で社会が大きく変動したと感じる人は多いでしょう。でも、こういった価値観の変化を迫る波が次々と押し寄せてくるのがこれからの時代です。

 自身を時代の被害者と感じる人は増えていきそう‥…。そう言った変化の中で幸せに生き残るには適応していくしかない。でも、そういった能動的な変化を起こしにくい環境に追い込まれているのが専業主婦です。

 家庭不和に息苦しさを感じる専業主婦に社会は優しくない。企業は投資価値が示されないものに予算を取らない。行政は家庭内の問題に介入しない。

 夫が優しく接したとしても、専業主婦の不満が解消されることはないです。本質的には社会や夫に不満を抱えているのではなく、専業主婦という在り方の不自由さが苦悩の源なのだから。

 家庭の収入が夫の稼ぎに依存している限り、専業主婦が主体的に選択できる世界は狭い。その息苦しさは時代の変化によって新たに生まれたものではなく、女性が家庭に入るという構造が潜在的に抱える欠陥です。

3:夫の欺瞞とジェンダー平等後進国

 専業主婦と上手くやっていける男性はそれほど多くいないです。当然ながら相当の収入が必要です。そしてて、上手に奥さんの尻に叱れる必要があります。

 どれだけオブラートな言葉で包んだところで、収入がない専業主婦は家庭の大黒柱になり得ない。それは男性にとって都合が良いです。お金を家に持って帰るだけで役目を果たしていると感じられます。

 創造的で賢い旦那は上手く尻に敷かれて嫁を優位に立たせることによって、家の中に女性上位の世界をプロデュースします。経済力を奪う代わりに、嫁が主演の舞台を演出することで彼女の人生が素晴らしいものだと信じ込ませます。

 少し冒頭の人物たちとの会話に戻りますが、あれこれ話しているとAさんは「正直に言えば専業主婦になってくれたほうがいい」と話してくれました。Aさんの本音は日本男性が多くが内心で抱いているように感じられます。

 女性の社会進出は日本でも盛んに謳われてはいるものの、男女格差を表すジェンダー・ギャップ指数の2019年のランキングで日本は153カ国中121位なのです‥…低過ぎてちょっとひきました(笑)

 SDGsでも挙げられている「 ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」の項目においては日本はこれまでの価値観を疑い、考えてみる必要があるのではないでしょうか。もちろん他国に学ぶところも多くあるはずです。少なくとも自分たちがジェンダー平等においては後進国である自覚はあってもいいと思います。

4:円満な離婚という幸福な選択

 緩やかに変化しつつも、日本では会社や家庭で男性を中心に捉える風潮が根強いです。専業主婦はそうした男性にとっては都合が良いです。

 男は理解ある夫のふりをして、「外で働くのも専業主婦になるのも君の自由だよ」と言います。内心では家庭に入ってくれることを望んでいるけど、世界的な風潮を気にして「専業主婦になってくれ」とは言えません。

 それに相手に選択をしてもらったほうが楽だし、相手の意思を尊重しているという大義名分が立ちます。自分で決められるから女性も悪い気はしません。そこに落とし穴があるかもしれません。

 経済力を奪われた女性にとって最大の不幸は離婚というジョーカーをプレイするコストが高過ぎることです。

 そもそも離婚に対して悲観的な日本では、離婚を未然に防ごうという変な力が働いているように思います。

 離婚は幸せになるためになるためのポジティブな選択肢であって良いはずなのに、「バツイチ」というろくでもないワードがいつまで経っても死語になりません。

 離婚しても人生は続きます。破滅的な離婚でなければ、時として協力することはできます。友人とも恋人とも家族とも配偶者とも違うけど、赤の他人というわけでもない。

 契約に依らない人生の理解者がいるのは人生を豊かにしてくるようにわたしに感じられます。

 婚姻関係を過大に評価する社会の問題ではあるけど、離婚を忌避するあまり互いを抑圧するのは不幸です。それを「当事者の責任」で片付けてしまうのはどこか冷たく、救いがない。

 歪みは女性のライフコースをどこか無意識的に男性がコントロールしていて、女性もそれに甘んじるほうが楽だと感じられてしまう日本の文化にあるように思います。

 コロナ禍が暴いてくれた専業主婦が感じる家庭不和という課題は「人それぞれ」と臭いものに蓋をするのではなく、これまでの結婚観を疑ってみる好機です。たぶんその先にはより成熟したカタチに囚われない愛があるのではないでしょうか。


5:おわり

 ということで、結婚と専業主婦についてのあれこれでした。

 個人的には結婚観の話題になると否定的な問いかけることが多いです。でも、期待しているのはロマンティックでポジティブな返答だったり‥…。実際には結構険しい顔されることが多いですが(汗)

 でも最近、新卒の若い男の子と話したときに面白いと感じたことがありました。彼にはすごく大事にしてる彼女がいるけど、「結婚は必要ない」と自信を持ってキッパリ言ってました。

 彼が大事にしてるのは交際相手の存在自体であり、婚姻関係や社会的承認といったものに価値をあまり感じていないのかも。彼女の方も彼のスタンスに共感しているのであれば、それってなんだか尊いなと感じました。

 おしまい。

 

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