函館の朝
私の泊まったホテルには
コーヒー豆と手動のミルが常備されてて
ゴリゴリッと豆を挽くんだけど
どうしても考えてしまう
『東京帰ったら私も手動のミル買って
朝のチルい時間をエンジョイしちゃうか?』
みたいな愚かなことを
それは"普段の朝"を舐めすぎである
“旅行の朝"と一緒にしてはいけない
朝に挽かれた粉からコーヒー入れるのと
豆から挽くのは大きな壁がある
あれは『オレの生活って豊かっしょ?』
ってアピールしたが為に無駄に高い一眼レフ
とか買ってvlog風のモーニングルーティンを
自分でナレーションしてYouTubeに
載せる様な"充実表現"のプロにしか出来やしないのだ
私はグルメ珈琲を胃に流し込み
朝市に向かった
到着すると溢れる活気、賑わいの様な一見ではあるが、まだ残る珈琲に"嘘"の匂いが混じった
無理して『べらんめぇ』な感じで出してる
朝市=活気・元気の強要と言うか
どこか辿々しい、嘘荒っぽい
昨今のコンプライアンスの厳しさも影響しているのか
風潮としての"型"だけが残ってる感じがする
私がメロンを買った青年は
前髪が重めでラブホのシーツみたいな
太いズボン履いてるのに
『シャ〜ィッセェェェイ』と
抑揚がない声で喚いている
これは夏休み、半分寝てる時のラジオ体操だ
明らかな義務感・抑圧
文化としての朝市を無理に演じている
そう考えると彼らは役者と言えるのかもしれない、ある種のディズニースタッフ
『兄さん、どっから来たんすか?』
急に質問が飛んできた
おいおい、無理すんなよ
町医者ジャンボのMAKIDAIさんを
思わせる渾身の棒読み、いや棒ってよりは
丸太だ、国産杉から造った高級木材棒読みだ
彼は私が『函館山』と答えると
ようやく17才が溢れた
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