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僕の仕事の話2 ~建築の道とはなんだろう?~

このnoteは建築の設計の仕事に従事している筆者による。
建築の仕事にまつわる文章です。

ちょうど一年前、自分が建築設計の仕事を続けていられる理由について書かせてもらいました。今回は新たに、先日ツイッターの建築系アカウントで物議を読んだ内容に即して書かせていただきます。

始まりは日本建築学会賞も受賞している有名建築家のフェイスブックでの書き込み、そしてそれがツイッターに転載された事に発します。

建築家になろう 建築を学ぶ学生達へ 建築家は競争相手が多い仕事である。競争相手が多いということは、その分野で出世しても大金を稼ぐことはできない。私の師匠である巨匠リチャードロジャース卿にしたところで、少々普通の人に比べて裕福であるという程...

Posted by 手塚 貴晴 on Wednesday, February 16, 2022

非長文で熱く語られているのですが、端的にまとめると

・建築事務所に就職しない若者が増えている。
(補足するなら優秀な学生が特に建築事務所へ進む道を進まない)
 
→これはむかしむかしの僕が学生の頃からそうです。
半分くらいは建築以外の業界に行きます。人材不足は事実です。

・それは建築の道に進むとお金を貰えないからだ。
→実際給与は低く、労働環境も過酷です。日本トップクラスのブラック業界です。

・しかし、建築の職能というのは人間の生活をする上で欠かせないものであり、それに関わる事はかけがえのないものである。
→おっしゃる通りです。だから僕はプライドをもって設計の仕事をしています。

・だから、環境が厳しくても優秀な学生は建築の道を捨てないでほしい

→それはちょっと違う!


おそらく本人は全く悪びれる気もなく、炎上させるといった意味合いもなく(そもそもフェイスブックという性質のことなるプラットフォームで主張しているので)思いを述べているのですが、この時代錯誤の発言、そして今なお続く建築事務所の劣悪な労働環境を相まって
ツイッターの建築のトピックに載るようなアカウントたちを焚き付け、火が付きました。

といっても炎上したのか?というとそうでもなく。言うなれば、となりの山のキャンプファイアーくらいのもので、
特に建築関係以外、建築に普段興味の無い人たちには何の関心も与えられない出来事でした。

この業界全体の関心の薄さと、建築界隈という暗く狭く湿っぽい洞穴のエコーチェンバーには悲しみすら覚えるのですが、今回私はこの件における

・建築界、特に意匠設計事務所とよばれる業務形態がブラックであること

・建築事務所以外は建築の道にあらず、という考え

について、すこし自分なりに整理して書いてみようと思います。
今回noteにしたためたのは、このツイートが(建築界隈のみで)シェアされる時、たいがい「建築〇〇」「建築家」「デザイナー」とプロフィール欄に書かれているアカウントが自分語りおよび俺の建築論ふりかざし
(もちろんまともな提言、主張をしていた人も一定数います。)

結局のところネットのマウント合戦になっていて、生産性もない、小さな洞穴ので吠えあっている感覚を覚えました。

そして、数か月たった今、誰も話題にもしません。

なので、少し時間を置いた今時点で書いてみたいと思います。

・金持ちしか建築家になれない

この言葉は私が学生の頃から言われていた言葉で、今でも語られています。

つまり、この価値観を生み出す建築業界の構造が全く変わっていないということです。

理由は単純で、建築事務所は給料が安いからです。他にもお金持ちの場合往々にして太い人脈を持ち合わせており、仕事を得られるきっかけが多いというのもあるのですが、多くは前者が理由です。

給料が安すぎて生活が成り立たない。なのでお金持ち、つまり実家が太くサポートができる環境でないと建築家になれない。という建築業界を皮肉にしている言葉です。
(他にも物価が高い都市圏に有名な建築事務所が集中しているという要素も加わります。)

当然ですが、すべての建築事務所がそういうわけではありません。また私自身もいわゆる建設メーカーの設計、もしくはデベロッパーの設計部門といった一定の組織の中で設計の仕事をしてきているので実体験があるわけでもありません。しかし、この言葉がいまだに語り継がれているのはその現状を物語っていると思います。

ではどうして建築事務所の給料が安い、働けどくらしが楽にならないのか?
理由は大きく分けて3つ考えられます

・設計料が安すぎる
・建築事務所が多すぎる
・昔からそうだった

・設計料が安すぎる

設計に対する報酬基準はあるにはありますが、最低賃金のような順守事項ではないので形骸化しています。そして、あくまでも設計契約を締結することによって報酬が成立します。つまり、契約に至らない、提案段階というのはお金が発生しないことが往々にあります。
(いわゆる営業費用と解釈される事が多いです。)

・建築事務所が多すぎる

建築事務所が多いとありますが、実際多いです。
統計によるとコンビニよりも数が多いです、
(もちろん実働してないものもカウントされています)

実際の新築戸数、規模から考えれば明らかに過多であると思います。極論ですが食いっぱぐれが出てしまうのもやむなしといった具合です。

・昔からそうだった

これは発端にあった手塚先生の書き込みからも十分に読み取れると思います。一回り以上年配の諸先輩方は口をそろえて云います。

「昔はもっと厳しかった。」

私がこの世界に足を踏み入れた時も同じでした。教えてくれる環境ではなく、現場でもまれる事を是としていました。

この件に関しては改善はすべきですが、全て否定はできないというのが私なりの答えです。私の場合は建築設計ですが、施工も然り、大きなお金と何より人の命を預けるのが建築です。そこに仕事として向き合う覚悟というのは、生半可な事では得られません。
ブラック労働はダメですが多少の厳しさは必要なのかなと思います。

以上の問題に対して言えることは次に話すテーマにも通じるのですが、

より良い環境づくりを事務所を経営する人は目指し、働く人はより良い環境を選択していき、結果的に淘汰されていくしかないと思います。

しかしそれ以上に問題として大きいのが建築業界全体に今もはびこる
「建築家であらずんば建築の道にあらず」という謎の格言です。

・建築の道とはなんだろうか?

「道」というのはある分野を極めるにあたっての日々の鍛錬や実践の過程、もしくはその上での心構えとしてとして使われることが多いです。

例えば、大工さんであればその建築技術を高め、よい建築を生み出すことに貢献するのがその上での「道」です。

私が仕事にしている「設計」においても、自分の知識を高め、感性を磨き、経験を積み、よりよい建物を生み出していくことに貢献するのが、「道」であると思っています。

しかしここで述べられている「建築の道」というのはその両社とはまったく違う意味で使われている気がします。いうなれば「建築の道」では無く。「建築家への道」であるといったように感じました。

過去の著名な建築家のほとんどは、大学を出て、有名な建築家の事務所に勤めてキャリアを積み、独立する。というのが往々の流れでした。
(安藤忠雄というその王道から外れたモンスターもいますが)
そのために有名な建築家の事務所に入る、もしくはアトリエと呼ばれるような意匠系建築事務所に所属する事がキャリアとして重要視されています。

多くの建築メディアでも設計者を「〇〇建築事務所出身」といった肩書を前面に出して紹介します。つまり何よりも「肩書」を重視しているのです。

さきほどの発言をした著名な建築家の事務所ですが、求人をみるととても低い給与で募集をかけてます。経営に問題があると言われてもおかしくありません。しかしこのような状況がまかり通るのはこの「キャリア重視」がいまだに強く残っているからだと思います。

著名な建築家の事務所に勤めた経験が無いと建築家として認めてもらえない。そのため、どんなにブラック環境でもそのキャリアのために入る人は出てきます。
その先のキャリアのための試練、授業料のような慣習がブラックな環境をまかり通らせているのです。
(このブラックな環境の擁護論に「勉強させてもらってるんだから当たり前」というものが実際にあるくらいです。)

さらにこの「建築事務所を経て建築家になる」以外にキャリアに関してはあまり注目されることがありません。

例えば私は建設メーカー勤務の設計者ですが、我々のようなメーカーが設計した建物に対して一部の建築家が「産業、商品」と揶揄するところを多く目撃します。

己のプライドにかけて、勤め先、ひいてはクライアント、そしてそこに暮らす人のために設計を行っている身としては、とてもやるせない気持ちになります。

きっと「一部の建築家」にとって私の歩む道は「建築の道」ではないのでしょう。

歪んだ価値観のもとに「建築の道」が語られていると日々感じております。

・「建築の道」はない、
 建築の世界を作り上げるのは?

建築は芸術作品のように語られがちですが、生活、社会を支える「器」のようなものです。
そこに生活する人、利用する人がいてはじめて建築は存在価値を持ちます。

ともすれば「建築の道」というものは「特別な人のための道」ではない。

むしろ「道」というものは存在せず。建築というものに対して様々な人が関わり、生み出されていくのではないのではないかと思います。

「建築の道」のようなものは無く、
多くの人が営む中で生まれるのが「建築」であると思います。
そのために私たち設計屋は設計のチカラを鍛え、
大工さんのような施工者は己の技術を磨く、
生まれたものが取引され人の手にわたり、利用され、
その営みの繰り返しで社会が作られていく。
それが「建築の世界」だと思います。

それは芸術作品という枠組みを超えた素晴らしく、
尊いものであると思います。

そして、設計した建築が多くの人に認められ初めて「建築家」に成るのだと思います。

これは大学で評価された、有名な建築事務所でキャリアを積んだ、といった「狭い道」ではありません
また最近では「よりよい建築を生むために設計の仕事をする、」というより
「建築家になる」ということを重視して、いろいろ模索している様子を見ることがあります。
これも本末転倒です。だってそもそも「建築」から離れたことをしているのですから、
広大な大地を、多くの人と共に渡り歩くキャラバンのようなものこそが「建築」なのだと思います。

・建築は誰のものでもある。

建築の道といったきわめて限定的なものは無い。
建築はみんなが当事者であり、関わりを持つものです。
建築、そして建築の道は誰かのためのものではありません。
「建築は誰のものでもあるのです。」
そしてその建築を生み出すことを職能としているプロフェッショナルがいる。それに正解、不正解はありません。目指す道は同じです。
(ちゃんと建築を生み出す道であればですが)

だからこそささやかな願いですが、

できるだけ多くの人に建築に関する事、
そして建築を職能として関わる人たちに関してより多くそして「正しく」知ってもらいたいというのが私自身の願いです。
(この「正しく」というのは話が膨らむので機会があればお話しますが、ネットでは建築業界に関する変な話、誤った情報が乱立しています。)

私は上記をかなえるべく。このnoteであったり、またyoutubeなどの動画でより建築の世界を知ってもらえるようなコンテンツを発信してきています。

建築それ自身、そして建築に関わる人たちに少しでも興味、関心を持てばある意味ここでいう「建築の道」は開かれます。そして、それは建築が生活に欠かせない以上、より生活を豊かなものにしてくれると信じています。

以上が僕の仕事 「建築」における「道」の話です。











動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。