片付け、絶望

久しぶりに部屋の片付けをした。ここ最近心の調子も体の調子もよくなくて、ずーっと部屋が散らかったままだった。なんだか今だけはできるぞ、という気持ちに急になって片付けを始めた。
数ヶ月放置していたから、私が不登校になる前のものも、まだなりかけで多少希望があったときのものも、全てそのままになっていた。
いろいろな締め切りのプリント、やりかけの問題集、付箋がついたままの単語帳。高校3年生にして不登校となり、今年度中の進学や就職をほとんど諦めた私にとっては、もういらないかもしれないものだ。そういうものを、一つ一つ確認して処理していく。
出しっぱなしだった化粧品たちも一つ一つ棚に戻していく。化粧品というものは本当に不思議で、買った時の記憶だとか、それを使った日の誰かと関わった記憶だとか、そういうもの全部を私に思い起こさせる。

これまでの苦しかったこととかしんどかったことや、逆に楽しくて生き生きしていた頃のこと、今みたいに身も心もどん底に落ちてしまってからのこと、全てが私の中に否応なしに入ってくる。

ずいふんと放置していたから、気づいたら自分の手や足がほこりだらけになって、ゴミ箱も溢れて悲惨な姿になっていた。

まるで、今の私と同じだ。

今まで、心の片付けをしないで、散らかっているのを無理やり奥に押し込めて、ずーっと突っ走ってきた。気づいた頃には物が溢れて身動きが取れなくなってしまった。
それを一つ一つ片付けようとし始めたら、その溢れた物たちのトゲが全部刺さって、汚れも全部私にうつって、綺麗にしたかったのに結局自分自身が汚れている。

散らかった心を片付けたら、きっとまた頑張ることができると思っていたのに。余計傷ついているだけじゃないか。

私はいったいいつになったら頑張り始められるのだろうか。このまま片付けを続けていても意味がないんじゃないのだろうか。

私はこれからどう生きていけばいいのだろうか。

今までの辛かったことや苦しかったことの真理を追求できたとしても、それらが今後一切無くなることはない。私が変わっても、世界が変わることはない。

これから生きていく上で襲いかかる苦しみも絶望も、受け入れられる気がしない。

受け入れる準備をさせてほしいけど、その準備も何をすればいいのかわからない。

これからどんな風に歩んでいけば私にとっての幸せなのかわからない。

なにが間違いでなにが正解なのか、そもそも間違っているのかどうかすらわからない。

もう何もかも分からなくて、あるのは莫大かつ漠然とした不安のみだ。

ただそうしている間にも時間は過ぎて行くし、お金は無くなるし、周りの人たちの社会活動も止まらない。
私だけ何もないまま全てが進んでゆく。

私は今、ただ周りの人からの愛というものだけに生かされているけど、もしも、なにか絶対に抗えないことが起こってその愛がなくなったとしたら、何のために生きてゆけばいいか全くわからない。私自身が愛したいものを愛せるだけの力が無くなってしまったのだ。

しかも、その愛してくれる人達になにも与えることができず迷惑をかけてばかりなのが苦しくて仕方ない。
こんな私だから愛されても愛にうまく答えることができない。
いつかその人たちが、私を愛することが原因で起こるストレスとか障害に耐えきれなくなってしまうことが起こるかもしれない。私はきっとそれを直視できないし正気でもいられない。私のせいでそうなってしまうのに。
かと言って愛されなくなった時は、それはもう絶対に立ち直ることのできない絶望に陥ってしまうのだろう。

愛されたくないと思うほどに罪悪感を感じるとともに、愛してくれることにとてつもない安心感を感じている。

どうして私はこんなに面倒な奴なのだろう。

私はこれからの人生でなにを望んで、何をして、どうやって生きていけばいいのだろうか。

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