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「赤ちやんから終活まで」保育・子育て関係の記事

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今まで私が書いてきた記事に、素敵なnoterさんの記事も追加していこうと思います
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記事一覧

国や社会が福祉や保育で働く人を支えてほしい💛

季節の変わり目なのか、暑かったり涼しかったりなのか、ずっと様々なプレシャーの中にいるせいなのか(笑) 最近、ちょっと体調も良いとは言えず疲労感が強い。。。 そんな中、先日夜に突然元職場の保育者からライン連絡が来た。 「先生、電話してもいいですか?」。。と・・。 元職場の先生たちとは、退職してからもラインで繋がっている人も多いけれど、私から連絡をすることはなく、特に今年になってから連絡を取り合うことも減り、少し距離を置いていた。 意識的ではないけれど、日常がなんとなく忙しく

【夏の香りに思いを馳せて】保育の現場で取り組んだ伝統行事「七夕」(^^♪

私は3年前に退職するまで、保育業界で働いていました。 今回は、XUさんとriraさんの企画「夏の香りに思いを馳せて」に「園の行事」の視点から、参加させていただこうと思います(*^-^*) 今回の記事では、 について書いていこうと思います。 日本の年中行事まず、日本はなぜ年中行事が多いのだろうか、の考察を見つけました。 園で取り組む意味子ども達の教育的視点からも、保育業界では、「年中行事」に取り組みます。 でも、保育業界で取り組む意味は、それだけではありません。 今

今日は母も連れて叔母の退院後の介護つき老人ホームを3つ見学✨ 施設によって魅力にも違いあり。 見学のあと病院に行きソーシャルワーカーに協力してもらって相談室と病室を電話で繋いで叔母と話をした。 2施設に絞って感想を伝え方向性は出たけど、良いところであってもやっぱり切ないな😭

保育の素晴らしさ①「子どもは環境で育つ!」♬

私は、大学を卒業して、障碍児施設で5年、その後結婚をして、3年ほどの二人の子どもの子育て中を除いて、数年高齢者の「デイケア」での仕事以外は、保育業界で働きました。 小学校6年生のころにはもう「保母さんになりたい」と思っていたのです。 その理由は、以下の記事に書いています。 そして、以下の記事にも「保育に対する思い」が記されています。 これからそんな私が思う「保育の素晴らしさ」について改めて考えてみたいと思います。 そんな思いをまたこのnoteで書こうと思ったのは、以下

自分の頭で考えて困難を乗り越えていける生きる力を育む読み聞かせ

おはようございます。 とっちらかりはするものの、 私には自分の頭で考える力がある方だと 思っています。 それは母が私が小学校4年生になるくらいまで、 兄弟3人に対してほとんど毎晩欠かさず 本の読み聞かせをしてくれていたことが 大きいと思います。 毎晩読み聞かせをしてくれた母には 本当に感謝しています。 あるときはアラビアンナイト、 ある時はロビンソンクルーソー、 あるときは日本昔ばなし。 寝る前に母の声に誘われ、 自分では絶対に体験出来ないであろう  空想の世界

ついに出た! 親を作るためのkindle本!

子育てのすべての親に伝えたい! そんな想いはあったけど… まさか自分が 本当に 現実にできるわけない…と ずっと思ってた。 だから、 4月中旬に行われた note Expoでも私の夢の中には いつか、形に残して  本とかkindle本とか… "夢" と語ることも恥ずかしいものなのではないかと…思ってた。 でも、 その後に行われた"KindleAudition"で、 何気なく応募した その企画で、 1次合格で、 三銃士の方々とお話をしたり、 他の方の熱い思い

保育園とジェンダー格差の問題を考える

みなさん、こんにちは😃 カタグルマの大嶽です。 昨日は、グローバルキッズcompanyの中正社長と茶々保育園グループの迫田理事長とのミーティングがありました。 本当に魅力的なお二人なので、僕個人的には何時間でも一緒にいられるのですが、お忙しい方々なので、1時間だけ。 僕の起業のことをいつも応援してくれて、アドバイスもたくさんいただけます。 人生の先輩として、経営者の先輩として、そしておこがましいのですが、同じ業界にいる同志、仲間として、今後も刺激をいただきながら、僕も

自分軸の作り方#58「ちゃんと泣ける子に育てよう」1章① ”ネガティブな感情” ごと、子どもを抱きしめる。

「ちゃんと泣ける子に育てよう」大河原 美以/著 冒頭部分を#57でご紹介させていただいた。この本から、とても大事な気づきを得たので、今回は1章の内容をかいつまんで紹介したい。  この本の前半では、3歳児を育てる「ゆうたパパ・ママ」「あゆみパパ・ママ」と、先生の対話形式で、学びが進んでいく。 ゆうたママ・・・子供が泣いていると、まわりから「しつけをせず、わがままに育てている」と思われ、他の子より劣っていると「ちゃんと育てていないダメな母親」と評価されると感じている。子供が泣

今日はこどもの日♪

今日は、「こどもの日」ですね💛 今日は「こどもの日」について、ふと興味が湧いてきて、色々調べてみました!! 「こどもの日」って??「こどもの日」が誕生したのは1948年のこと。この年制定された「国民の祝日法」で、日本国民の子どもたちが健やかに育つことを祝うため、国民全体の祝日として定められたそうです。 「子供」ではなくて、「こども」と表記したのですね。 なんでだろう・・これも調べてみました(笑) そして、こんな記事も・・・👀👀 「こどもの日」の由来や歴史さらに・・

私が持っている資格! ぜんぶ公開しちゃいます☆☆

noteを投稿して10日目!  毎日連続で書き続けている人は凄いなと思う今日この頃・・ でも私もたとえつぶやきくらいの日があっても、続けてみようと思っている。⇒今の気持ち💛 記念の10記事目なので今までに書いた記事を記載(*^-^*) もし興味がある記事があったら、読んでみてください<m(__)m> ① 【赤ちゃんから終活まで】 note始めます ② 身近な人を亡くした時 ① 実父を見送って ③ 身近な人を亡くした時 ② 義父母を見送って ④ 「終活」って何だろう?最初

なぜ私が「保母」を目指したのか?! その原点である、母と私達家族の人生から今思うこと💛

  今は「保母」とは言われない・・。 「保育士」は国家資格になった。 私が資格を取った時は「保母」という名称だった。私が「保母」になりたいと思った理由は私の生い立ちにあったと思う。 その話を今日はしてみたい。今回も少し長くなってしまうがお許しを<m(__)m> 私の両親は二人そろって教師だった。 私が生まれたころ、産前休暇はまだ4週間、たった一か月の私を私の祖母(母からすると義母)に預け仕事に戻ったそうだ。母として教師として悩みや辛さはあったが、私が健康であったのでなん

子どものころ、「かぎっ子」だった!

 私の両親は二人とも教員共働きで、私はずっと「かぎっ子」だった。 「かぎっ子」という言葉を知っている人も今は少ないかもしれない。 昭和30年代後半からの高度経済成長時代、共働きの両親が増え、「かぎっ子」と言われる子ども達は多数いたのだ。 「かぎっ子」とは、小学生くらいの子どもが家に帰るときに自分で家を開けること。わが家は弟もいたので鍵は「牛乳瓶の箱の中」と決められていた。(昔は、毎日牛乳が配達されていた。) 今では、「学童保育」があり、「かぎっ子」の子どもは少ないかもしれない

長男は「モチモチの木」の豆太☆

今日の写真は「モチモチの木」🌸 今日は、私の愛する家族の一人である長男について書いてみようと思います。 これは、ある真冬の夜のお話です。 はじまり、はじまり~👏👏 真冬の夜中、2歳の娘Uが11時ごろ喘息発作。わが家で数回吸入するも良くならず、救急に通院することに・・。 寝ていた夫を起こし、車の運転をしてもらう。救急病院まで片道20分、ぐっすり寝ていた5歳の息子Sをどうするかと悩んだけど、私は娘を抱かなければならず「寝ていてね」と祈りながら、置いていくことに・・。 救急に到着

子ども達が「一人暮らし」を始めるとき

わが子は3歳違いの兄妹。 長男が高1のとき、長女が中1、 長男が大1の時、長女が高1、 高校を卒業すると、二人とも東京の大学に進学して、家を出ることになった。 長男は大学から紹介された「民間アパート」で(自分一人で決めてきた)、そして3年後、長女は2年間大学の寮での生活、残りの2年間は「民間アパート」での暮らしが始まった。 子どもの成長を喜びつつも、現実的になると「この子に一人暮らしができるのだろうか・・」と不安になるものだ。 特に長男は、料理もさせたことがなったし、家に