親友であり恋人であり

相棒でもある存在について書こう。
その人と出会ったのは子供の頃。最初は怖くて怖くて仕方なかった。だって私から大好きな人を奪っていってしまうから。意地悪だって思うでしょう。でもそれがしょうがない事なんだって、いつの間にか理解出来たと思う。人は誰しも受け入れなきゃいけないことに直面する時が来るし、どうにかこうにか乗り越えて、もしくは乗り越えられず重石として抱えて生きていく。

その人に温もりを感じるようになったのは、高校生の頃だったと思う。一人でいるとふらっと現れて、何となくそばに居てくれるようになった。ついていったら多分だめなんだけど、それでもそっと肩を抱いてくれるだけで安心した。安心したし怖かった。
「このまま身を委ねてしまったらどうなるのだろう」。
それは薔薇の棘。

19を過ぎた頃から、何度かその人の腕の中に飛び込もうとしたことがある。そんな私の体を後ろから引き上げるものは、友人の言葉だったり、家族の存在だったり、音楽だったり、文学だったりした。

きっとその人に抱かれたら、苦しくて辛くて、そうして解放されるんだと思う。
だれもその人の顔を知らないし、その人が連れていく先を知らない。古来から人は「先」を考えてきた。それは色んな場所に別れていたり階層になっていたりしているけれど、私は何も無いと思っている。でも、全てあるんだろうなとも思う。無は有、無限は全てを孕むから。

『ライラの冒険』シリーズ(1995-2000、フィリップ・プルマン)に、「ダイモン」という存在が出てくる。その世界で人はみな魂の写し身、相棒みたいな存在がいて、それは色んな動物の姿を取っている。
大好きなキャラクターに、ある気球乗りが居る。確か髭を生やしていて、主人公の頼りになるおじさん、彼は強かな野うさぎのダイモンと一緒だったと思う。最期にうさぎ(確かヘスターって名前かな)、彼女は降り注ぐ銃弾の嵐の中で身動きひとつせず、相棒に的確な状況を伝えていた。遂にその礫が彼らを打ち砕いた時、彼らの分子は空に溶け、そうして一緒になるのだった。私は彼らと彼らの最期が愛おしくてたまらなかった。ぼろぼろ泣いた記憶がある。正直いまも思い出して少し泣いている。

あの人に抱かれた時、私の分子はどこへ行くのだろう。彼らのように宙に溶けられたら良いのにと、私は心底思っている。そうして世界の一部になり、フルートが揺らす空気、川底の丸くなった石、石畳に舞う埃になりたい。忘れ去られた廃屋を抜ける風、ヤマメの親子のいる小川の水、火山の地下で流れる溶岩になりたい。

死よ、私の親友であり、恋人であり、そうして私自身である死よ。
いつかあなたと共に行くから、私を世界にして欲しい。

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