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「悪は存在しない」のエンディングとか ("Evil Does Not Exist") ...Right?

映画館の観客は私1人で、初の貸し切りだった!  (in California)

エンディングについて:
実は、最後の解釈はどうでもいいと思っていた。映像がきれいだったからそれでいいかなと。「ドライブマイカー」のように、結末を観客にゆだねちゃったよね? でも、友だちに「あのエンディングは何だったの?」と聞かれて考えてみた。急に放り投げられて、雪景色に置いていかれたままでよかったんだけれど。

1.まずは普通っぽい想像
お父さんは鹿から娘を守るため、都会の人の動きや音を止めようとした時に、いろんな理不尽なことに対する怒りみたいなものが沸き上がって、衝動的に首を絞めたのかなと。まだ生きている娘を抱えて、黙々と自分の「自然と共存してる」世界に帰っていく。

都会から来た人は、所詮よそ者で、長野で暮らしてもいいかなと思ったけど、ちょっと田舎の断面を観ただけで、結局まだ何もわかっていない。彼も生きてて、あの土地でのグランピングや自分のこれからを考える。

2.あの嘘くさい鹿は何?
いかにも「作りました」という見た目の鹿は、一体なんだったんだろう。撃たれて、鹿が突っ立ってるのは不自然だった。

2頭の鹿は幻影、イメージだったんじゃないか、みたいなことを言ってた人を思い出したら、それがじわじわときた。

あの鹿の親子は、実際にいたんじゃなくて、象徴だったとしたら?

撃たれた鹿はお父さんで、小鹿は女の子
奥さんを失って忘れっぽくなって、子どもを迎えに行くのすら忘れる、正しく機能していない手負いの鹿

手負いの鹿じゃなければ人を襲うことはない、と言っていた。
手負いの鹿が、衝動的に東京の人の首をしめた。

あるいは、女の子が撃たれた鹿
実は、女の子は銃弾に当たって倒れていたのかな、ともちょっと思った。鹿に襲われたか、何かの理由で倒れていた。まだ生きてる。

お母さんも、撃たれた鹿なのかもしれない。
お母さんを失って、家族のバランスは崩れていた。
手負いの家族

「なんでもバランスが重要なんだ」みたいなこと、言っていた。
グランピングができたら、通り道を失う鹿も、汚染や騒音に悩まされそうな村も、バランスを失う手負いの鹿。

最後は、傷を負った者が、バランスを失った怒りで静かに爆発して(無言で首を絞めること)、それから淡々と雪道を進んでいったとして、、、はて?

結局、人生、いろんなことが起こるけど、粛々と自分のやることをやるしかないってこと?? ちょっと面倒なアート・芸術? w

最後に映画のタイトルがじゃーんと出てきて、「悪は存在しない」ってどういう事なのか考えたほうがいいのかなと思ったけど、1人の映画館で考える気にならなかった。映像がきれいだったから、ただ雪景色に置いていかれて、それでいいかなって。やっぱり「美しい映像があった映画」ってまとめちゃダメかなぁ。

軽めの感想:
映像がきれいだった。一緒にあの雪の林を歩いていた。後ろ向きの車で進んでいくのは、気分がよかった。だるまさんがころんだの静止画面も好きだった。大人びた顔の女の子のアンバランスな感じは奇妙だった。役者さんたち、よかった。

おまけ - 細かいことを言うと:
娘が家にいないのだから、東京から来た女性の手の傷は放っておけばいいのに、とか、学童?から子どもを1人で帰らせるのがおかしい!と怒っていました。私、お母さんだし。w

最後に:
監督いわく、「自然の中には、故意の悪は存在しない」そうです。「2回観れば、映画がわかるかもしれない」とも監督が言っています。
私も2回観たら、わかったのかもしれないけれど、それよりもまた「ドライブ・マイ・カー」が観たくなってしまいました。

参考動画・サイト:

(1) "Ryûsuke Hamaguchi on Evil Does Not Exist | NYFF61" by Film at Lincoln Center 
面白かったし、通訳の人がすごいと思った。


(2) "Ryûsuke Hamaguchi wants you to watch his new movie at least twice" By Kevin Nguyen ("THE VERGE")


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