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なぜ、都内IT系上場企業を辞めて、北海道でゲストハウスをやろうと思ったかという話 その1

前職は、何にしても、総合的にみて、恵まれた環境だったと思います。

そりゃあいろいろあった、辛いことがなかったわけがない。トイレでよく(悔し:悲し=7:3)泣いていましたw

でも一言で言うなら楽しかったです。本当に。頭の中に思い浮かぶ単語がいまそれです。愉快でポジティブな人が周りに多かったからでしょうね。社内の人間関係に悩んだことなんてこれっぽっちもなかった。業務は何もかも新鮮で、退屈しようがありませんでした。

溢れるばかりの投資と愛情を注いでいただきました。さてさてこれから恩返ししてくれよ、という会社からの期待を裏切ってしまったことは、御詫びを言わずにはいられないほど、心ぐるしいです。


それでも辞める意志は固く、

とても自然な決断でした。



わたしは、

小さなころから、学校の先生という生き物が不思議で、よく観察していました。

先生には、「完璧」を求めていました。でも当たり前ですが「完璧な生き物」はいません。ですからすみません、正直なところバカにしていました。先生のくせになんでわかんないの、なんでできないのって。

今となっては何故あんな捻くれていたのだろう?と思いますが、あれは「執着」だったのだとある時気づきました。簡単にいうと、可愛がってもらいたかったのだと思います。親以外に、不完全な私を認めて導いてくれる人がいてほしかったんだと。本当は全然いい子ではない私に気づいて認めてもらいたかったのだと。

でも、多感な時期が過ぎ高校生ぐらいになったら、どうでもよくなって、あまり考えなくなりました。

一人っ子だからかな、私は人付き合いを覚えるのが遅かったと思います。大学生くらいになってようやくまるくなり、いろーんな人と仲良くなることができました。

そして、いろーんな人や価値観があることを知りました。知れば知るほど、自分が許容できる範囲が広がっていきました。(とはいえ、一定のラインはあるな、と最近感じてます)

そうしたら、バカにしていた先生という生き物も許容しはじめたんです。

そうしたらどうでしょう、あの「執着」が「興味」へと変わり、気づけば教育実習に行っていました。

教育実習は、非常にたのしかったです。

こりゃあ、こんなことを仕事にできたら幸せだ、と初めて思いました。

運がよかったのだと思いますが私は勘違いしました。

先生に向いているのでは、と。

しかし、先生にはなりませんでした。

あんなにバカにしていた「先生」に、どうもなれる気がしませんでした。

ですから、私は、その時一番行きたかった会社に(運良く)入りました。

つづく

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