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トーストとホットミルク〜そこにいてくれた大切なひとのはなし〜

幼稚園のころ引越したアパートにちいさな男の子か住んでいた。たぶん2歳とかそんなくらいの子だったと思う。末っ子の私はちょっとしたお姉さん気分だったのだろう。可愛くて世話をやいていた気がする。砂遊びしたり、よく遊んでいた。  当時、母は仕事で家に居ないことが多く、お留守番はいつものことだった。幼稚園から帰りその子のうちに行く。「今お昼寝してるから、また今度ね」っておばちゃんに言われるとショボンとしてたっけ。おばちゃんはたまに、手作りのキャラメルをくれた。赤、青、黄色、緑のセロファンでラッピングされていて、キラキラしていて。私はそれが大好きだった。おばちゃん家はいいなぁ、、、  そんなことを思っていた気がする。

小学1年のある日、具合が悪くて学校を休んだ。母は仕事で、おなかは痛いし、ひとりぼっちでさみしくて不安で仕方なかった。TVもだんだんつまらなくなって、母のベットにもぐってじっとしてるしかなかった。

玄関が開く音。

母が帰ってきてくれたのか?と思ったら、おばちゃんだった。「おなか痛いんだって?」様子を見に来てくれたのだ。「食べれたら食べてね」そう言ってテーブルに持ってきてくれたトーストとホットミルクを置いていってくれた。そのあとのことは覚えていない。そのシーンだけがずっと心に残っている。

それからしばらくして、おばちゃんちに赤ちゃんが生まれて、おばちゃん家族は引越していった。とてもさみしかったのを覚えている。それ以来会うこともなかったけど、今も子どもの頃を思い出す時、あの時のトーストとホットミルクを思い出す。ミルク苦手なんだけど。笑        それだけ、幼い私にとってその出来事はうれしくて温かいものだったのだろう。

生きていると出会いは続く。これまでの私の人生にもたくさんの登場人物がいる。すれ違っただけの人も含めたら、どれだけの数になるのか見当もつかない。おばちゃんもそのひとり。たまたま同じアパートに住んでいた人。それでも、おばちゃんは私の人生の中で数少ない大切な人として、今も認識されている。幼い頃の私を救ってくれた人安心できる場所を与えてくれた人。

どんな環境や状況だったとしても、おばちゃんみたいな存在の人がいたら、人は生きていける。と思っている。実際、子どもの頃にそういう存在の人がいたから私は腐らず生きてこれたと思っている。

なんでもない関係性に見えて、実はなんでもなくない。とても大切な関係性。

ただそこにいてくれる。と思える存在。自分という存在をそのままにしておいてくれる存在。  そう思える人はそんなにいない。

生きることがしんどい。そんな話をたくさんの人としてきた。その度におばちゃんのような存在があったら。と思う。ひとりでもいい。そう思える人がいたならば。そう感じられる場所があったなら、きっと人は生きていける。今の社会に必要なのは、そんな人と人のつながりなんだと思う。



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