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forest forest

今までのアーカイブはコチラ→ https://www.niwatomori.com/forest_forest_map/ 森の案内人・三浦 豊が、週に1,2回、日本中の森林、木々… もっと読む
キャラ立ちした木々、無数の森林や名所・・・、 森目線になると、日本はほんとうに、すばらしいことにな… もっと詳しく
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2019年10月の記事一覧

柵が少ない公園の空で、クルクルと飛ぶ

秋田市の中心地、秋田駅から歩いて約5分のところにある、千秋公園( せんしゅうこうえん )です。 秋田市民のみなさんが行き交っていて、いいかんじに賑わっていました。 ここは、1602年に秋田藩主となった佐竹 義宣が、翌年の1603年に築城した久保田城があった所で、それ以降、佐竹氏が12代・270年にわたって居城とされていました。 それから後、明治30年に公園として整備されました。 城跡を公園化する事業は、ここが全国でも初めての試みでした。 公園の中には、神社があっ

醍醐水

( 前回のつづき ) 観光気分で登ると、つらくなって途中で下りてしまうような登山道がつづきました。 ここを登った先にある上醍醐寺( かみだいご )には、日本最古の巡礼路の西国三十三観音霊場の第11番札所にあたる、准胝堂(じゅんていどう)があります。 そのお堂への参道にもあたるこの道は、西国三十三観音霊場の中で、最も険しい道と云われてきました。 そのことに納得をしながら登りました。 登山口から、1時間半くらいをかけて登ると、 上醍醐の寺務所に着きました。 入口にあ

引っかかって、覆う

( 前回のつづき ) 醍醐山( だいごやま )を登りはじめました。 山には、樹齢が40才から60才くらいの杉林がひろがっていて、 30分くらい登ると、 「 立入・火気・厳禁 」と書かれた看板が立っていて、 その右側には、

安定感がありながら、すらりとしたのびやかさのある

( 前回のつづき ) 下醍醐( しもだいご )の仁王門を入ると、 閑散となっていました。 左を見ると、 遠くの住宅街が見えました。 かつてここは、たくさんの杉林が鬱蒼と生えている暗い林でした。 それが昨年の9月に通過した台風21号によって、すべての杉が倒れてしまったのです。 振り返ると、 さきほどくぐった仁王門がよく見えました。 昨今、巨大化をしている台風の凄まじさを、あらためて感じました。 すこし歩くと、

1450個

京都市、醍醐寺( だいごじ )です。 豊臣 秀吉( とよとみ ひでよし )が亡くなる5ヶ月前の、慶長3年3月15日( 1598年4月20日 )に催された、醍醐の花見の会場になったことで有名な寺院です。 醍醐寺は、上醍醐( かみだいご )と下醍醐( しもだいご )に分かれていて、下醍醐寺の本坊的な存在となっている三宝院( さんぽういん )の玄関から中へ入ると、すごい日本庭園が、奥に広がっています。 三宝院庭園です。 醍醐の花見が終わってから豊臣 秀吉が作庭にとりかか

ビッグイシューさん

今から20年くらい前、僕は東京の日本大学に通っていました。 よく利用していた池袋の駅前で、ホームレス風のおじさんが、片手にカラフルな雑誌を持ちながら売っている姿を初めて見た時のことを、今でも鮮明に覚えています。それはまさに、刺激的な光景そのものでした。 雑誌はビッグイシューという月刊誌で、本屋で売られているのを見たことはなく、路上でホームレスっぽい方によってのみ売られている雑誌でした。 おじさんに数百円を支払って、その雑誌を手にとってページをめくってみると、目を引く面白

日本最古の庭園

台風19号が、各地で猛威をふるっています。 僕は3日前から東京に来ていて、今日の昼から、宿から1歩も出ていません。 窓の外は、ゴオオー!!と、地響きのような風雨の音が鳴り響いています。 みなさん、どうか無事でありますように。 京都府南部の僕の家の近所には、木津川( きづがわ )という大きな川が流れています。 大雨が降ると、このように増水します。 ここの河川敷に立つと、いつも水への恐れを感じます。 平成2年に、この木津川の上流に位置する三重県の伊賀上野市で、日本最

三人寄れば文殊の知恵

大分県、国東( くにさき )半島へ行きました。 ここです。 半島の山地には、いくつもの山岳寺院があります。 中でも、648年に役行者によって開山されたという、国東半島で随一の古刹へ行ってきました。 文殊仙寺( もんじゅせんじ )です。 参道の入口には、600年以上前の、南北朝時代に作られた仁王像が立っていて、 300段の石段がつづいていました。 石段の右側には、 岩と岩の間に、欅( けやき )が生えていました。 欅は、こんな垂直の崖でも、根っこを岩の上に

虹を跨ぐ

広島市、縮景園( しゅっけいえん )です。 元和6年( 1620年 )に、広島藩主だった浅野 長晟( あさの ながあきら )が別邸として築いた庭園で、茶人として有名だった上田 宗箇( うえだ そうこ )によって作庭されました。 そして、その後の天明の頃( 1785年 〜 1788年 )に、その時の藩主だった浅野 重晟( あさの しげあきら )が京都から名工を招いて修造をし、ほぼ現在の姿になりました。 園内のまんなかには、大きな池があって、 その池のまわりを歩くと、

隠すのか、見せるのか

奈良県、奈良盆地です。 盆地の西端にある、江戸時代に作られた庭へ行きました。 慈光院( じこういん )という寺院の庭園です。 生垣の間の道を進んで、 敷石を進みました。 茅葺き( かやぶき )屋根の門をくぐって、 お堂へ入りました。 そして、大和三名園の一つに数えられている、江戸時代につくられた庭園に着きました。

1200才以上の金木犀

僕の家の庭に生えている金木犀( きんもくせい )が、花を咲かせました。 静岡県に、前から会いに行ってみたい金木犀がいたので、行ってみることにしました。 静岡県三島市、三島大社( みしまたいしゃ )です。 広い境内には、大きな池がありました。 本殿にお参りをして、右後ろを振り返ってみると、

鶴の山と聖木

( 前回のつづき ) 森の中で、小さな藤( ふじ )が生えていました。 すぐ横の足元を見ると、 藤の茎が、地面を這いながら伸びていました。 それにしても、この森は、生えている木々がみんな立派で、勢いがあるなあと思っていると、道沿いに看板がありました。 鶴形山( つるがたやま )と名づけられているこの山は、昔から須原( すはら )神社の御山( おやま・山を敬って呼ぶときの語 )として大切にされてきました。 そのために、100種類以上の木が自生している森は、岐阜県の天