筆名を使う

高校生の頃、授業中に涙が止まらなくなり、ほとんどの時間をトイレで過ごした。座る気力もなくて真っ暗な個室の中で便器にもたれていた。あの頃一番欲しかったのは平穏な日々で、それを叶えるためには大学生にならなければいけなかった。そのために私より優秀な同級生は私の何倍も勉強していた。そんな日々を繰り返していた。

大学生になって自由に出歩けるようになった。アルバイトを始めて自由に使えるお金を手に入れた。自由な時間が与えられた。何も無理しなくていい、何も耐えなくていい、ずっと望んでいた日常だった。けれど心のどこかで趣味や学問に熱を注ぐ同級生にコンプレックスを抱いていた。彼らのどこから気力が湧いているのか理解出来なかったけれど、私よりも感情豊かに過ごしているように見えた。

短歌を始めたきっかけを聞かれる度に違う理由を答えている。とある人が短歌を詠んでいたから、とある歌集と出会ったから、作家を目指していたけれどストーリーが王道すぎると言われ、けれど言葉の使い方は悪くないと付け足されたからそれを生かせる別の方法を探していたから。どれも事実であり、どれも決定的なきっかけではない。三浦くもりのアカウントを作った20歳の私は、何かを表現したい気持ちよりも、別の自分が欲しい気持ちの方が大きかった。何の取り柄もない消極的な自分から目を逸らすための、好きなものだけ詰め込んだスペシャルパックのような、大切に出来る自分が欲しかった。

三浦くもりでなければ出会えなかった人、経験できなかったことがこの一年でたくさんあった。好きな場所で自由に動く三浦くもりは、時に私が望んでいるのとは反対方向に私の手を引いて駆け出して行く。けれど、その三浦くもりを生み出したのは私だ。私が心のどこかで望んでいた、諦めきれなかったことを三浦くもりは叶えてくれる。そして三浦くもりが何も心配せずに過ごせるように、私は早めに課題を片付けたり、アルバイトで貯金を増やしたりする。いつか、今度は私が三浦くもりの手を引いて素敵な景色を見せたいと思い始めている。

気が付いたら感情が揺さぶられてばかりの日々を、私は愛している。愛なんて言葉を躊躇わずに選んでしまうくらい、愛している。