むらいさんくの味噌醤油
1849年、嘉永2年。
ペリー来航の4年前にあたるこの年、阿波國香美村(かがみむら)でひとつの蔵が産声を上げました。
始めたのは、三浦家四代目当主・三浦村次とその妻・ヒサ。
農業の傍ら、養蚕や藍の栽培・すくも作りを営んでいた村次は、私有地を提供して道路や排水路を整備したり、近隣にある四国八十八か所の札所への道標を設置したりするなど、面倒見のよい人柄でした。地域の人々からは「むらいさん」の愛称で親しまれ、信頼されていたそうです。
その妻であるヒサは同じ村から嫁し、行き届いた心配