見出し画像

むらいさんくの味噌醤油

1849年、嘉永2年。
ペリー来航の4年前にあたるこの年、阿波國香美村(かがみむら)でひとつの蔵が産声を上げました。
始めたのは、三浦家四代目当主・三浦村次とその妻・ヒサ。
農業の傍ら、養蚕や藍の栽培・すくも作りを営んでいた村次は、私有地を提供して道路や排水路を整備したり、近隣にある四国八十八か所の札所への道標を設置したりするなど、面倒見のよい人柄でした。地域の人々からは「むらいさん」の愛称で親しまれ、信頼されていたそうです。
その妻であるヒサは同じ村から嫁し、行き届いた心配りのできる働き者で、工夫を凝らし家の切り盛りに務めたしっかり者であったと伝えられています。

大豆が豊作であった年、ヒサは自慢の「ねさし味噌」をたくさん作り、近所の人々に「どうぞお味見を」と分けて回りました。
「むらいさんくのねさし味噌、ほんまに美味しいなあ」
「おヒサさんのお味噌は格別じゃ!」
人々は口々にヒサが配ったねさし味噌を称賛しました。
その評判を受けたヒサは、ある決断をします。

「旦那様。これをお商売になさったらどうですか。」

自らの嫁入り衣装であった丸帯を資本に、彼女は村次に醸造業を興すことを勧めました。
こうして始まった蔵の仕事。村次とヒサは、ねさし味噌と濃口醤油の醸造を始め、それが今日まで続いています。

地元に伝わる古いかぞえうた

三浦醸造所がある阿波市市場町町筋(まちすじ)には、古い「かぞえうた」が遺されています。

市場町筋かぞえうた

一つ 一鷹散髪屋
二つ 西木の饅頭屋
三つ 三笠屋うどん・そば
四つ 萬家 呉服店
五つ いせやの精米所
六つ むらいさんくの味噌醤油
七つ 難波の洋食屋
八つ 山辺のお医者はん
九つ 近藤町長はん
十で 豆腐屋おきぬはん

(※「むらいさんく」は阿波弁で「むらいさんの家」の意)

この「かぞえうた」に歌われた中で、現在もその営みを続けているのは、残念ながら当家だけとなりました。

むらいさんとヒサさんが蔵を開いて、今年で175年。
三浦家九代目当主・三浦誠司は、五代目杜氏として、先祖から受け継いだ農地を耕し、「むらいさんくの味噌醤油」を醸し、更なる夢を追いかけています。

むらいさんの時代から使い続けている蔵



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?