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soar やさしい社会への投資

#わたしが応援する会社 、と聞いて真っ先に思い浮かんだのが【NPO法人soar】、非営利メディアを運営している珍しい存在。

人生の半分を海外で暮らし、日本に再移住してみて日本は「とても生きづらいな」と思った。私はいわゆる「マイノリティ」に分類されるような事象はないので日々マジョリティとして普通に生きている。それでも日本は生きづらいと感じた。その生きづらさはどこから来るんだろうって振り返って気づいたのが、日本社会のマイノリティへの非寛容さ。みんなと同じでなければいけないという同調圧力が強すぎて、マジョリティでいることも苦しい。マイノリティとかマジョリティとか関係なく、要は「自分らしく」いることが享受されない社会が今の日本なのだと思う。

海外で暮らしていた時、私はマイノリティに分類されることもあった。例えば、2500人程いた会社の中で私はたった一人の日本人だったし、習い事に行った先で私がたった一人のアジア人だったということも多々あった、だけど生きづらいって感じた記憶はない。一緒に仕事をしていく仲間で障がいのある人たちもいたけど、彼らがすごく生きづらそうにしていると感じたこともない。正直、日常で彼らがマイノリティであると意識したことがなかったのだと思う。LGBTQにしても障がいにしても国籍にしても、誰かに向かって「この人違う、みんなと違う」と意識するようなことはなく、その人を「人」として見る。だからマジョリティもマイノリティもなくて「人」。違うか同じかで言えば、みんな違う。100人いたら100通り。

そういう中で暮らしてきたので、ついつい比較してしまうのだと思う。日本は「違う」ことが「間違い」であるかのような雰囲気がある。実際のそのような意見を言う人も少なくない。例えば幼稚園の帽子がみんなお揃いで、一人だけ別の帽子を被っていたらDifferenceではなくWrongだと捉えられる、そんな非寛容さを日々の中で多く感じる。

「自分らしさ」を追求したらいけない社会。みんなと同じを善とする社会。そんなところに生きづらさを感じたのだと思う。【soar】はまさに、ここ課題とし解決しようと運営されている。

だから応援したくなる。

私はsoarのことが好きなので、記事の主題に関わらず読んでいるけど、多くの読者は自分の障がいや病気について検索してsoarに行きつくことが多いんだって。そうやってsoarの記事に行きついた人たちのことを思って「どんな記事でも、当事者が読んだときに「希望」を持てる記事であるように心がけている」と代表の工藤さんがsoarの説明会で話して下さった。当事者ではない私が読んだときにいつも「自分らしくいていいんだ」とポジティブな気持ちを持つのは、工藤さんの仰る「希望」の力なのかなと思う。

他にもsoarの記事を読むと

「違うってことの素晴らしさ」

「弱さを認めることの強さ」

「人を頼る勇気と、人に頼られることで気づく自分の存在価値」

「想いを伝えることの大切さと、想いをカタチにする尊さ」

「知ることの大切さ」

「経験という価値」

…などなど、いろんなことに気づく。いつもこの気づきに勇気をもらう。日々、仕事や家事育児に追われている中でふと「人として」生きることの意味を考えるチャンスをもらう。

ささやかながら毎月のサポーターになっている。soarへの寄付は「寄付」ではなく「日本をもっと暮らしやすい、やさしい社会にするための投資」だと思ってる。soarの活動がもっともっと広く知れ渡って、自分らしくいていいんだってことにもっと多くの人が気づけたらいいなと思ってる。

障がいや病気、マイノリティに分類される人たちが暮らしやすい社会は、みんなも暮らしやすい社会。soarの活動、これからも応援しています。

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