即興で答える8の質問【尾西祥平 弁護士編】渋谷オフィスを立ち上げた理由(上)~おにさんぽ編~
2019年1月創業の三浦法律事務所は設立1年未満で弁護士40名以上を擁する急成長中の法律事務所です。おかげさまであらゆる方面から注目いただき、「ミウラってどんな事務所なの?」というお声を頂戴します。
そこで私たちがどのようなチームなのかが少しでも伝わるよう、メンバーの個別インタビューを敢行します。「あらかじめ準備された回答では熱量は伝わらない!」ということで、弁護士の空き時間を狙って突撃インタビュー。即興で質問に答えてもらうことで、事務所の雰囲気やメンバーの人となりを探ります。
2人目は三浦弁護士からバトンを受け取った尾西祥平弁護士。「昔はよく渋谷で遊んでいた」という尾西弁護士と渋谷を散策しながら、19年11月に立ち上げた渋谷オフィスについて聞きました。尾西弁護士と行く“おにさんぽ”編、スタートです。
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尾西祥平(おにし・しょうへい):2012年に弁護士登録。ヤフー株式会社の企業内弁護士として、EC、メディア、金融等の各事業に法務担当として関与したほか、ロビイング、知的財産権、訴訟等の業務に従事。その後、佐藤総合法律事務所で、M&A、コーポレートガバナンス、キャピタルマーケッツ、危機管理等を扱う。2019年1月に設立された三浦法律事務所に参画し、19年11月に渋谷スクランブルスクエアに弁護士法人三浦法律事務所渋谷オフィスを設立。現在、上場企業からスタートアップまで新規事業の創出にリーガルアドバイザーとして幅広く関与している
Q1:ずばり、渋谷ってどんな街ですか?
――個人的には10代の頃の記憶との結びつきが強いです。中学生の頃は友達と遊ぶといったら大体自由が丘か渋谷でした。当時は、チーマーやカラーギャング全盛期だったので、今よりももう少し街に危なっかしい雰囲気があったかもしれません。私は若気の至りのようなもので高校を中退してしまったのですが、その頃は、ほとんど毎日のように渋谷で遊んでいた記憶があります。渋谷に行けば誰か面白い仲間に会える、という感覚がありました。
その後、渋谷らしさが失われているように感じる時期もありましたが、改めて近年の再開発を振り返って渋谷という街の多様性や底の深さに気づかされています。経済とカルチャーが交錯するこのワクワクした感じは今の日本ではなかなか出せないんじゃないでしょうか。ここ数年仕事でもご一緒させていただいている方々は元々渋谷と縁が深い方々が多いのですが、子どもの頃に抱いていた「渋谷に行けば誰か面白い仲間に会える」という感覚と非常に近いものが蘇ってきており、結果としてこの歳になって自然と渋谷に引き寄せられたような気がします。
「Manhattan Records」に立ち寄り、この日もレコードを購入。高校中退後は、「アルバイト → もらったバイト代でレコード店へ直行」という日々だったとか
Q2:三浦弁護士と面識はなかったと聞いていますが、三浦法律事務所に参画した理由は?
――三浦亮太と出会ったのは三浦法律事務所が設立される約2か月前の2018年10月12日です。18年の私を振り返ると客観的には充実していたのではないかと思います。クライアントも大企業からスタートアップまで徐々に増え、M&A、金融、コーポレート・ガバナンス、危機管理、訴訟と日々様々な案件にチャレンジすることもできていました。しかし、その一方で漠然とした物足りなさを抱えていました。自分でも面倒くさい性分だなと思うのですが、「住する所なきを、まず花と知るべし」といえばよいのか、昔から安定から身を遠ざけて変化を起こしたくなるところがあるように思います。三浦と出会ったのはちょうどそんな時期でした。三浦とは3時間ほど話したと思いますが、会って数分で意気投合して「一緒にやりましょう」という話になりました。その後はお互いが理想とする法律事務所像のようなものを語り合っていた気がします。新しいことがはじまる予感、一言でいえばそれが三浦法律事務所に参画した理由です。
Q3:2019年11月に渋谷オフィスを立ち上げました。なぜ“渋谷”だったんですか?また、立ち上げの背景や理由は?
――-面白いし、合理的だし、意義があると考えたからです。お気づきの方も多いと思いますが、大手や名門といわれる法律事務所の多くは丸ノ内や大手町をはじめとする千代田区に集中しており、三浦法律事務所の最初のオフィスも大手町に作りました。だからこそ企業法務を扱う法律事務所が渋谷にオフィスを出すということはシンプルに意外性があって面白いだろうと思いました。もう少し観念的な話をすると、武道において「居着き」というものが回避されるように、私たちも自分たちの居場所を固定化すると死地に追い込まれるリスクがあるわけですから、大手町とは対照的な拠点を持つことが自然であると考えていました。成熟した大手町と粗削りなところが残る渋谷の双方から日本の経済に寄り添うことができれば、今このタイミングで私たちが三浦法律事務所を設立した意味を自分なりに見出せるのではないかと思いました。
散策中、壁一面にグラフィティーが描かれた路地を通りかかる尾西弁護士。「このあたり(宇田川町)はHip Hopに憧れる少年たちの聖地でした」と語る
Q4:渋谷オフィス立ち上げに当たり大変だったこと、苦労したことはありますか?
――渋谷オフィス立ち上げの構想は三浦と私が初めて会った際に二人で話し合ったものです。今、思えば初対面でそんなことまで話をしていたんですね(笑)。ただ、私は当初、渋谷オフィスの立ち上げは数年先のことだと想定していました。状況が一転するのは18年11月29日です。
初めて会った10月12日以降、三浦とはお互いにメールで連絡を取り合っていたのですが、久しぶりに直接会う機会がありました。たまたま直前までシアトルにいたこともあり寝不足と時差ボケで頭がぼーっとしていた私に対して三浦から衝撃的な言葉が与えられました。「渋谷オフィスは1年以内に作ろう。任せた。」と。「本気ですか?」と確認する私に対して迷いなく「本気」と答えた三浦の無邪気な表情を今でも覚えています。
私が大切にしている物事の判断軸は「粋」か否かです。三浦は間違いなく「粋」に分類される人物です。粋な人にはこちらとしても心意気を示したいので、その日以来、19年中に渋谷オフィスを立ち上げることが私の一番重要なミッションになりました。ちなみにこれはまだ三浦法律事務所そのものができていないときの話ですからね(笑)。ここから数々のご縁が重なって、渋谷スクランブルスクエアやオフィスが入居しているフロア「SHIBUYA QWS」にたどり着くことができました。
(「渋谷オフィスを立ち上げた理由(下)」につづく)
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