見出し画像

インド最新法令UPDATE Vol.3:タームシートの法的拘束力 ~ インド法の視点から

新規投資やM&Aの際に最終的な契約書の前段階として「タームシート(Term Sheet)」や「基本合意書(Letter of Intent)」などの書類で大まかな枠組みを定め、パートナーや買収先の企業と交渉を行うことが多いかと思います。これらの書類はビジネス上の交渉を円滑に進めるうえで大変便利です。しかし、インドにおいては、取り扱いを間違えると法的拘束力をもつ書類として取り扱われてしまう可能性があります。その為、タームシートや基本合意書の締結には十分留意する必要があります。

1. タームシート、基本合意書について

タームシートや基本合意書(以下「タームシート」)は、ビジネス上の取り決めを行う意思を示すために当事者間で締結される予備的な文書です。新規投資やM&A取引においてもよく使われます。これらの文書では最終契約に至るまでの取引の大まかな枠組みが定められます。タームシートが作成されるのは、取引の前提となる条件等が議論されている段階であることが通常です。このため、タームシートは多くの場合、法的に拘束力のないものとなるよう意図されています。そのような意図を書面上も明らかにするため、タームシートには、①タームシートは当事者を拘束するものではないこと、➁法的拘束力を持つと明確に定められた条項を除き、タームシートの条件は当事者を法的に拘束するものではないことといった条項が盛り込まれます。多くの場合、競業避止義務、機密保持、紛争解決に関する条項は、内容の性質上法的拘束力を持ち、タームシートの満了・終了後も存続することが合意されます。しかし、インドでは、法的拘束力を持たない旨が明記されたタームシートについて、インドの仲裁判断において法的拘束力が認められた事例が発生しました(Arbitration Award Dated 15 Feb 2021 (Zostel Hospitality Pvt. Ltd. V. Oravel Stays Pvt. Limited))。その仲裁判断は、仲裁人A.M. Ahmadiにより下された2021年2月15日付仲裁(申立人:Zostel Hospitality Private Limited、相手方:Oravel Stays Private Limited)です。

今回の記事では、当該事例について紹介し、意図せずにタームシートの法的拘束力が発生してしまう事態を避けるための注意点について解説します。

2. 事例の前提

1. Zostel Hospitality Private Limited(以下「Zostel」)は、オンラインのシステムを通じてインドでバックパッカー向けにホステルの客室を提供する事業を行う新興企業です。

2. Oravel Stays Private Limited(以下「Oyo」)は、オンラインのシステムを通じてホテルの客室を提供する事業を行うユニコーン企業です。ソフトバンク、Didi Chuxing、Star Virtu Investmentなどの著名な投資家から資金提供を受けています。

3. Oyoはホステル事業への進出を希望し、Zostelの事業を買収することを申し出ました。当事者は2015年11月25日付のタームシート(以下「タームシート」)を締結し、ZostelはOyoの既存の持ち株の7%と引き換えに、その事業全体、資産、顧客データ、一部の主要従業員、ソフトウェア、知的財産権をOyoに譲渡すること(以下「本件取引」)を合意しました。

4. タームシートには法的拘束力がないことが明示されていました。

5. さらに、タームシートには本件取引が以下の条件付きであることが記載されていました。

i. Oyo によるデューデリジェンスが成功裏に完了すること。
ii. Zostel が必要な企業、政府、経営陣、および第三者の承認をすべて取得すること。
iii. Zostel がその資産、IP、ソフトウェア、顧客データ、主要従業員等を Oyo に譲渡すること。
iv. 当事者同士の訴訟を同時に取り下げること。
v. 当事者同士が相互に合意可能な条件で最終契約を結ぶこと。

3. 発生した紛争

タームシートに基づき、Oyoはデューデリジェンスを完了し、Zostelはいくつかの義務を果たしました。当事者同士が最終契約の交渉を続けている間に、Oyoが本件取引の中止を決定したため、ZostelはOyoに対して仲裁手続を開始しました。

仲裁手続中、Zostelは、提案された本件取引の主な目的であったOyoへのホステル事業の譲渡を含め、タームシートに基づく義務をすでに完了していると主張しました。Oyoの不履行のために買収プロセスが完了せず、今回取引の完了時に発生するはずだった利益がZostelから奪われたと主張しました。ZostelはタームシートにおけるOyoの義務の履行を含むいくつかの救済措置を求めました。

一方、Oyoはタームシートは法的拘束力のないものであり、当事者同士で取引を完了させるための最終的な合意をしていないため、Zostelが主張した救済措置は認められないと主張しました。

4. インドにおける過去の裁判例

本件仲裁判決に先立ち、インドにおいては、タームシートの法的拘束力に関して判示した最高裁判所判決があります。そこで、仲裁判決の内容の詳細に入る前に、タームシートの法的拘束力に関するインド最高裁判所における過去の判断内容をご紹介します。

1. 当事者同士の意図を理解するためには、タームシートは断片的にではなく全体として読まれるべきである。(参考:DDA Vs. Durga Chand Kaushish - 1973 2 SCC 825)。

2. タームシートや基本合意書に規定された条件が売り手側によって満たされず、売り手側の行動が信頼を生むようなものではなかった場合、買い手側はタームシートや基本合意書を取り下げる権利がある。その際、当事者間に拘束力のある法的関係はなく、買い手側は状況を総合的に勘案して、拘束力のある契約を締結するかどうかを決定することのできる権利がある。(参考:Rajasthan Cooperative Dairy Federation Ltd. Vs. Maha Laxmi Mingrate Marketing Services Pvt.Ltd. and Others- 1996 10 SCC 405)。

3. 書面上は法的拘束力を持たないと規定されている場合であっても、各当事者の行動から、相互合意 (すなわち意思の一致)が認められる場合もある。各当事者の行為により、「意思の一致」が明確に立証された場合には、拘束力を持たないと規定された合意であっても、法的拘束力が認められる。(参考:Rickmers Verwaltung GMBH Vs. Indian Oil Corporation Limited - 1999 1 SCC 1)。

4. われわれの前の司法的見解は、基本合意書は単に当事者が将来的に相手と契約を締結する意思を示しているに過ぎないというものである。基本合意書の段階では、当事者間に拘束力のある関係は生まれず、それぞれのケースで状況を総合的に考慮しなければならない。ただし、文言の内容から意図が明確であれば、基本合意書を拘束力のある契約と解釈することは可能である。しかし、その場合、通常の基本合意書の解釈とは異なるため、その意図を明確かつ疑いのないものにしなければならない。(参考:South Eastern Coalfields Ltd. Vs. S. Kumar's Associates AKM (JV),2021 SCC Online SC 486)。

5. 仲裁判断

仲裁判断では、Zostelの請求につき検討するにあたり、①ZostelとOyoの間で最終契約に関する合意があったか、②タームシートに法的拘束力が認められるかという2つのアプローチを検討しています。

(1)最終契約に関する合意があったか

仲裁判断では、当事者の行動から最終合意の成立を認められる場合があることを前提に、本件でみなし最終合意(consensus ad idem)があったかを検討しました。みなし最終合意が認められれば、救済として、最終合意での合意事項、すなわち本件取引の実行が認められることになります。

仲裁判断は、デューデリジェンスが十分に完了した後、当事者同士は最終契約の草案を交換し、当事者同士は最終的に合意するために複数回の議論を行ったことに言及しつつ、Oyoの少数株主の1人が異議を唱えたため、当事者同士は最終契約の最終版に合意することができなかったとし、みなし最終合意(consensus ad idem)の成立は否定しました。

(2)タームシートの法的拘束力

① タームシートの法的拘束力の有無
仲裁判断では、以下のような判示により、タームシートの法的拘束力を認めました。

• 当事者の真の意図を確認するためには、タームシートは全体として読まれるべきである。単に前書きを読むだけで、タームシートの主要な主題となっている条項を無視して結論を出してはならない。本タームシートに従い、ZostelはOyoに利益をもたらす本件取引に向けていくつかの行動を起こした。従って、当事者はそれらの行動によってタームシートがもつ非拘束性を放棄したとみなされる。

• Oyoからの指示に従い、またタームシートに基づいて、Zostelは以下のような行動を行った。

a. Zostelの従業員のOyoのネットワークへの移行
b. Zostelの不動産のOyoのネットワークへの移行
c. ZostelからOyoへの消費者の移行作業
d. 将来のホステルの予約の移行作業

したがって、Zostel はタームシートで計画されている本件取引を完了させるために、Zostelが行う事のできる可能なすべての行為を実行したと言える。

• Zostelはタームシートに基づく義務を履行する準備と意思があった。Zostelは、本契約に基づく義務を履行する準備と意思があり、Zostelが可能な限りの全ての義務を履行したことを立証する十分な証拠が記録していた。一方で、OyoがZostelに義務の履行を止めるよう指示したことを示す証拠はなかった。したがって、ZostelがOyoがタームシートに基づく義務が履行すると法的に期待することは自然である。仲裁判断ではOyoがタームシートに基づく義務の違反を犯したと判断した。

以上を分析すると、仲裁判断においては、一方当事者がタームシート上で記載された義務の履行を行い、他方当事者がこれに異議を述べなかったという要素が認められる場合には、タームシートの法的拘束力を認めるという立場が取られていると考えられます。

② 救済措置
では、タームシートの法的拘束力が認められるとして、救済措置はどのような内容になるのでしょうか。仲裁判断においては、①タームシートはあくまで最終契約の締結を目指すものであるという立場、②上記の通りみなし最終契約の成立は否定されることを前提に、本件取引の履行自体は認めず、申立人であるZostelに、Oyoに対して最終契約の締結を求める権利があることを認めました。

(3)仲裁判決後の動向

最近のニュース記事によると、Oyoは、仲裁判断に異議を唱える申立書をデリー高等裁判所に提出しているようです。また、Oyoはインド証券取引所に株式を上場する手続きを開始しています。それに対し、ZostelはOyoの上場を阻止するため、デリー高等裁判所 (https://economictimes.indiatimes.com/tech/startups/zostels-petition-in-delhi-hc-adds-a-legal-twist-to-oyos-ipo-saga/articleshow/86589984.cms)およびインド証券取引委員会(https://economictimes.indiatimes.com/tech/startups/zostel-asks-sebi-to-reject-and-suspend-oyos-1-2-billion-ipo/articleshow/86937192.cms)に申立を行っています。上場前の評価では、Oyoは12億米ドルとされています。そのため、Oyoの株式の7%の価値は高額になります。友好的に解決しない限り、このような紛争は長期化し、泥沼化する可能性が高いと考えられます。

6. インドにおいてタームシート/基本合意書を締結する際に留意すべき点

1. 名称にかかわらず、タームシート、基本合意書、覚書は、その内容によっては法的拘束力のある文書と解釈される可能性があります。

2. タームシートや基本合意書に「拘束力がない」と記載するだけでは十分ではありません。当事者が拘束力のある義務を生じさせる意図がないことを文書全体に反映させることが推奨されます。

3. 当事者は、拘束力のない文書の中で詳細な実行義務について言及することを避けるべきです。詳細な実行義務に関しては、最終的な合意契約書に含める事が推奨されます。

4. タームシート、基本合意書を結ぶ当事者は十分検討の上行動する必要があります。当事者が取引完了のためにタームシート、基本合意書の条項に従って行動していることを示す行為があれば、タームシート、基本合意書は拘束力のある文書と解釈される可能性があります。一方の当事者がタームシートを拘束力のあるものとみなし、タームシートに基づく明白な義務に基づいて行動する一方、他方の当事者がタームシートを拘束力のないものとしたい場合には、取引をすすめる詳細な行動をとらないよう、先方に積極的に求めるべきです。

まとめ

タームシートまたは基本合意書は、非常に便利な文書です。タームシートは最終契約の締結や最終的な取引の完了に向けて、当事者が中身のあるビジネス上の議論を行うための幅広い枠組みを規定するものです。通常、このような文書には法的拘束力がありません。しかし、本ニュースレターで紹介した通り、法的拘束力のある文書として解釈されることもあります。インドでのビジネスに関心のある企業におかれましては、タームシートや基本合意書を締結する際は将来の不必要な紛争を避けるために、上記の点に留意して検討する必要があります。

【英語版(PDF)】


Authors

弁護士 Deepak Sinhmar(三浦法律事務所 カウンセル)
PROFILE:2003年インドにて弁護士登録(2020年外国法事務弁護士登録)。インドのDSK Legal、西村あさひ法律事務所にて多数の日本顧客向けにアドバイスの経験を有する。2019年1月から現職

弁護士 井上 諒一(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2014年弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。2015~2020年3月森・濱田松本法律事務所。2017年同事務所北京オフィスに駐在。2018~2020年3月同事務所ジャカルタデスクに常駐。2020年4月に三浦法律事務所参画。2021年1月から現職。英語のほか、インドネシア語と中国語が堪能。主要著書に『インドネシアビジネス法実務体系』(中央経済社、2020年)など

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?