見出し画像

三浦と音楽〈その一〉|三浦自伝⑬

(写真:父と離れて暮らしていたアメリカ時代の三浦・3歳くらい)

これまで三浦自伝は「三浦が大森にたどり着くまで」というタイトルで連載してきたが、前号で大森にたどり着いてしまったので新シリーズを始めようと思う。現在の三浦を形成してきたものを様々な側面から描き出したい。今回からしばらくテーマは「三浦と音楽」である。

レコード会社のプロモーション担当の父、ラジオDJなども務めたアナウンサーの母のもとに生まれた三浦は物心つく前から常に音楽が身近にあった。

家にはいかついオーディオセットと壁一面、何千枚ものレコードコレクションがあり、ジャンルもジャズから歌謡曲、ハードロックやワールドミュージックまで何でも幅広く聴くことが出来た。

ただ、いつもレコードやCDサンプルを持ち帰っては増えるばかりなので母はしょっちゅう父に対して怒っていた。

そういえば父はギターも弾いたので、三浦が母と姉とアメリカに住んでいた時には誕生日プレゼントに弾き語りの入ったカセットテープを送ってくれたのを覚えている。

最初に歌手を認識して音楽を聴いたのはKANの「愛は勝つ」だったと思う。確か名古屋で幼稚園に通っていた頃流行っていた。

その頃音楽好きだったかどうかはわからないが、母からよく聞かされるのは、白竜のライブに連れて行ったところ退屈だったらしく、まだ序盤の曲の途切れ目に大声で「もう終わった?」とのたまったという逸話である。

家では5歳年上の姉のかける音楽を耳にすることが多かった。ビートルズやカーペンターズ、ドリカム、UA、たま、サニーデイサービスなど姉の好みに任せて何でも聴いた。

母は母であがた森魚やゴンチチ、古澤巌など全然違うジャンルの音楽を聴いたが、誰もケンカすることなくかかっているものを楽しんでいたのが良かった。

しかし小学校に上がった頃の三浦がかける音楽は嘉門達夫やメンズ5、クレヨンしんちゃんのサントラなどアホチョイスで皆から嫌がられた。

そんな小1の頃、三浦は急にバイオリンを習いたいと言い出す。

<つづく>

※三浦編集長 Vol.13(2017年4月発行)より転載