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焼き豆腐売りの少女

吾輩はお人好しである。
この一言から、今回は進めさせていただきたい。

最近自分がお人好しであることに嫌気がさしている。親からは、「優しさの英才教育」を受けてきた。

うちの親は引くほど良い人だ。仏だ、神だと言いたいほど。親同士で喧嘩したのは、記憶に残っている限り一回。

しかも、
「大根の葉は食べれるかどうか」という口論であり、父が「食えないわけがない」
と美味しく調理した大根の葉を食卓に並べ
「不味い」と子供たちが泣き叫び、地獄絵図に。
それをみた母が激怒したという平和な喧嘩だった。

そんな親に、
「どんな状況であれ、他人には優しく」
と教育をされてきた。

しかしその結果はどうだろうか。

「お人好しすぎる」だの「そんな助けはいらない」だのバイトや大学に入ってから言われたい放題だ。

なんてこった、パンナコッタだ。

なんなんだこの世は。自分の利益のためだけに動けば良いのか?


バレーボールでトスされた、重力に逆らえずに落ちるボールを、ただニコニコと眺めておけというのか?

ていうか「お人好し」ってなんなんだ?
人を好きと書いて「お人好し」

別に好きちゃう。

私はニコニコしていて、友好関係が広いように見られがちだ。
しかし、よく観察してみて欲しい。

えげつなく狭い

「反復横跳びのラインぐらい狭い」

これが事実だ。

他人への無関心というものが、「怒りや悪い気持ち」を生み出さない秘訣かもしれない。

なので「お人好し」ではないようだ。
この記事の最初の文を皆さんの頭から忘却して欲しい。

私の行動はただの優しさの押し売り、自己満なのではないか。

どうしたら良いのか悩んだ末、この戦法を思いついた。

「豆腐屋のおっちゃんスタイル」

よく街を大きなカートを引き、歩いているおっちゃんがいる。
その人は、私がまじまじと見つめても
「うまいぞ、食え食え!」
とも言わないし、私がもし
「おっちゃん、その白い物体をください」
といえば、美味しい豆腐を売ってくれる。

私も、「助けて」と言われるまでは静かにしておこうと決めた。

それは実に悲しいことだけど、しかたあるまい。

人々に冷たい世の中が、豆腐屋の少女を作り出したのだ。

この寂しい心を温めるために、売り物の豆腐に火をつけて、焼き豆腐にしてやろうか。

そう思う今日この頃である。

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