コンクールではない音楽

私は小学生からトランペットを始めた。初めてコンクールに出たのは中2、そこから8年間ずっとコンクールで全国金賞ということだけを目指し続けてきた。
今年始めてコンクールがない1年を過ごしている。正直もっとつまらない毎日を送るのかと思っていたらそうでもなかった。多少寂しさはありつつとても充実している。実は今までより楽器を吹くことが楽しいかもしれない。

これは今まで吹奏楽バカだった私だが、アンサンブルというものの楽しさに気づいたからだと思う。

気づけたのは大学生になってからで、一緒にアンサンブルをやってくださってるおじさまのおかげだ。
演奏会の打ち上げでガブリエリやりたいね、なんて語っていたら金八は揃わなかったものの、反対にもっと難しい金五を結成してくださった。以前は金五でアンコンにも出たが、今年は事情によりその予定は無い。でも月1で集まってアンサンブルをしている。私の毎月の楽しみだし、この日に向けて練習する毎日が楽しい。

この楽しいというのは楽器を吹くのが楽しい。曲を、音楽を、つくるのが楽しい。
アンサンブルは指揮者がいない。だから自分たちでここはどんな速さ、どんなタメかた、ここの音の長さは、そんなことを音で表現したり言い合ったりして決めていくことが出来る。自分の発した1音で曲がどんどん変わっていく。やりたいことが音で伝わってみんながノってきた時が最高に楽しい。やりたいことを表現するために技術ももっと上げたいとより思える。

吹奏楽より吹く責任は重い。ミスをしたらそれだけで曲が崩れる気がする。昔はそれで悔しい思いをして涙を流したことことばかりだったた。それでも今はその悔しさこそも乗り越えたいと思える。常にソロを吹くようなプレッシャーだ。でもそのプレッシャーも楽しいと思えるようになった(と思う…笑)

コンクールは結果が達成だと思う。どんなに自分たちがいい演奏と思えても正直銅賞だったら悔しい。みんながそうでは無いかもしれないけれど少なくとも私の考えはそうだ。

だが今趣味のアンサンブルは、やりたい音楽をすることが達成することだと思う。もちろんいつかは演奏会などで人に聴いてもらいたい。ただそれを評価されたい訳ではなく私達の作った音楽を聴いて欲しい。それだけだ。

学生のコンクールのための練習は実に細かい。特に西関東を超えるまでは。今思うとすごい練習をしてきたと思う。たった1音でも合うまで納得のいく音が出るまでひたすら根詰めて練習してきた。ただそれは決して無駄ではなく、若い音を綺麗な音楽にするにはクオリティでカバーすることも必要であると思う。

ただコンクールのためでは無い音楽はそれを超えたものがあると思う。特にアンサンブルは。コンクールの練習で求められるクオリティや技術はやりたい音楽を表現するためのアイテムであって音楽をすることの主ではない、と思う。

現在コロナ禍で合奏ができずアンサンブルを行う人たちが増えているだろう。そんな人たちに、特に学生に、音楽をすることの楽しさを思い出して欲しい。自分の音で音楽をつくることを思い出して欲しい。
人数が増えるほどバレないように、突起しないように吹いてしまう。そうではなく自分がつくるのだということを楽しんで欲しい。そんなプレッシャーとも戦える強さを身につけて欲しい。

結論、音楽って比べられるものではない。ただ楽しいものだ。どれも演奏者が楽しいものは聴いてる人にも伝わる。どの音楽も認められて欲しい。演奏した人たちも自分たちの音楽を認めて欲しい。

とは言いつつやはりコンクールで金賞を目指して努力してきたことやその結果、その音楽は素晴らしいものだったとも思う。自分の歩んできたものを全否定するつもりは無い。またゆっくり思い出して書き留めていきたい。

今回は今が楽しいという私の想いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?