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ネタバレ『神に愛されていた』感想

2時間で読んで、30分余韻に浸って、今、これを書いています。
素敵な素敵な小説でした。

光と影という表現があります。
本作の二人の主人公は、ほんの一時だけの重なって、正にその光陰を繰り返します。
光が当たる天音の影に落とされた冴理。天音は初めて読んだ小説、冴理の小説を聖書として、冴理は天音の小説に受難し、十字架を背負いながらすれ違いや回り道を繰り返して坂を登り、最後には互いに感情を束ねたブーケを投げ返すのです。赦すとか赦さないとかではなく、最初から神に赦されていたし愛されていたのでしょう。
世間から光とされた天音は、むしろ冴理の、言わば影のようにその行動に従っていたのだという構図、それを匂わせながらも、むしろその中で揺さぶられる二人の感情こそ、この小説の核たる魅力と言えるでしょう。
小説に爽快感を求める向きもありましょうが、このどうにもならない切なさもまた良いものです。如何にせよ、文を読んで感情が揺さぶられるのは素敵なことです。『私が大好きな小説家を殺すまで』とも似た読後感です。

二人の行動に着目すると、昭和の恋愛ドラマかと言いたくならなくもないです。「君の名は」とか。裏目裏目の繰り返しです。NANAを思わせます。巡れど重なって満月とはならない月日がもどかしく、切ないです。
とはいえこの行動も、二人の絶妙な陰キャ度に起因していて、どうしても愛らしく、そこに重ねる自分がいます。これもまたこの作品の魅力的なものにしています。

挿入歌というか、後半で出る別れの歌も素敵です。手元のスマホで流しながら終盤を読みました。これもまた、ショパンじゃなくてモーツァルトです。初めて聴きました。クラシックは知りませんが、ショパンのを一人さめざめ泣いてるような曲とするならモーツァルトのは人に訴えて泣き喚くような感じがします。天音が最後にしたことは冴理とそれから娘に愛を伝えることでした。運命によって死ぬのだと悟って、また自らの信仰に従って死ぬのだと覚悟して、その上で激しい思いを伝えるのに相応しい。
そして歌詞です。春だったんだねと言いたくなるくらいに女々しい歌詞です。私を永遠に忘れてしまうのだろうという絶望の歌詞は、忘れないでくれることへの希望を裏に含んでいることでしょう。これもまた相応しい。

神に愛されるとはどんな気分でしょう。
この物語では二人が互いに互いの神でした。自分の生の意味を与えてくれる存在、天音にとっては直接そうでしたし冴理は生を表現する為の小説を書くきっかけを作ったのが天音でした。
それは生きる希望を与える物だそうです。また彼女らは神を意識することで絶望を覚えるのでしょう。その愛が感じられないが故に。

愛されていたと、過去形にできる程にはまだまだ強くないので、単数形の神の為に何かできる気がしません。月陰の照らさぬ里の云々ということは、私の精進が足らぬが故に神とか阿弥陀如来とか感じられん可能性もありますが、別に天から尊いと言われたりとかはしてないでしょうし。ジャンプの漫画じゃあるまいし、こんな怪獣大戦争に巻き込まれる予定はありません。
赦してくれと思うことは多々ですが、私は例えば月の欠片を集めて、八百万の神から幾許かの愛をもらいつつそんな感じで暮らそうと思います。

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