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『漱石とその時代』第三部

ようやく中盤、第三部です。どうぞよろしくお願いします。

第三部❬表紙❭ 著者(江藤淳)

『明治三十八年一月、『我輩は猫である』で一躍文名を挙げた漱石は、日露戦争から戦後にかけて、驚くべき多彩な作家的才能を示しつづけた。しかし、この間に血縁と親族のしがらみは、いつしか"捨てられた子"である漱石の身辺を脅かしはじめた。第三部は、こうして文科大学講師夏目金之助がついに転職を決意するにいたり、東京朝日新聞小説記者夏目漱石となったいきさつを、内と外から跡付けようとした試みである。』

第三部❬裏表紙❭ 小島信夫(作家)
「素人」の時期の漱石

『『我輩は猫である』の冒頭は「吾輩は猫である。名前はまだ無い」となっている。私など、この猫に名がないのは当たり前だと思っていたのか、無関心だった。ところが著者は、"坊っちゃん"の主人公も、『草枕』の主人公もそうだという。こうなると名がないというのも只事ではない。漱石は当時の日本のみならず西欧の、小説と名づけられているものには、馴染めなかったということにもつながってくる。
さらに漱石には、告白したいことがある一方、それを隠したかったのだということにも関係してくる。漱石の作品は次次と出版された。著者はそれら単行本の装幀の見事さに惚れこむだけではない。作者の秘密が密閉されているという。評論家の洞察力である。
大学講師をやめて『朝日』に入所するまで、日露戦争が終った頃までの漱石は、文学者としては、いわば素人であった。その素人の意味合いを、私は十分に教わった。』

小島信夫の文章は、さすが「作家」だなあと思いました。読んでみたくなるようなこの本の魅力を、随所にしっかりちりばめています。そしてやっぱり「ドキッ!」とさせるんですよね。真髄をついてくるというか。ある箇所で、わたしはドキッ!としました。

第三部、パラパラとページをめくりまして、あとがきにグッとくる文章がありましたので、そちらもご紹介します。
あとがきより、引用、抜粋します。
(このあとがきは、新版にも収録されています)

『顧みればこの仕事が第二部まで本になったとき、今は亡き中村光夫氏から、「あとを急いで書かないほうがいい。三十代の人には、五十になった人間に見えている景色が、まだ何も見えないのだからね」と、懇ろに忠告されたことがある。なるほどそんなものかと時期を待っているうちに、私はいつしか五十を過ぎ、六十に近づいた。漱石はそのうちに、私より若死した文学者たちの仲間入りをしていた。
第三部を書きはじめてみると、「一切は、漱石の作品という一等資料がどこまで味読出来るか、という己れの力量にかかっている」という小林秀雄氏の言葉が、しばしば耳朶(みみたぶ)に響いた。小林氏はこの言葉を、二十三年前『漱石とその時代』第二部のために寄せられたのである。その小林氏も、既に逝いて久しかった。』

非常に切なさを感じて、しばらく空を見上げました。

第二部と第三部の間が、期間が空いているのを不思議に思っていたのですが、「時期を待った」のですね。このことに、非常に深い意味を感じます。たぶん早く書きたい気持ちもあっただろうと思います。しかし、「その景色が見えるまで待った」のですね。強い意志と根気のいることだと思います。

わたしはふと、漱石先生の書簡の言葉を思い出しました。

「牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。(中略) あせっては不可(いけま)せん。(中略) 根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」
(八月二十四日 芥川龍之介・久米正雄あて)

本日もお読みいただき、ありがとうございました😊

『漱石とその時代』(第三部)〈新潮選書〉
江藤淳
平成5(1993)年10月23日 発行
(新版 2014年2月20日 8刷)

#新潮選書 #夏目漱石 #江藤淳 #小島信夫

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