福住美和

本と音楽が好きです。 インスタグラムで書いた文章のまとめをこちらに。

福住美和

本と音楽が好きです。 インスタグラムで書いた文章のまとめをこちらに。

マガジン

最近の記事

『現代日本の詩歌』感想文

「戦後の現代詩を主軸にして詩歌の全般を取り上げて短い解釈を試みた。本稿は、現代の詩歌を表現としての特徴をもとにして出来るかぎり類別し、それぞれの共通点を読解しようとするものである。」 この本は、 毎日新聞に2002年4月から2003年4月まで連載された「吉本隆明が読む現代日本の詩歌」をもとに編まれた本です。 構成者二人(大井浩一/重里徹也)が吉本隆明の自宅をたびたび訪ね、縦横に語ってもらい、そのエッセンスを原稿にしてそれに吉本が筆を入れる、という形をとっている本です。つま

    • 「うずまき」を追いかけて

      長年、「うずまき」を探しています。 わかりやすい例は、ゴッホの絵の、空の描写などにみられるうねり、渦を巻くようなイメージです。 ずっと探していましたが、新たな動きはなく、最近は少々くじけておりました。 先日、「世界ふれあい街歩き」(NHK)という、世界の街を歩いているように感じられる番組をみておりました。 その日は、アイルランド・ゴールウェイという街だったと思います。 街頭で、アーティストのおじいさんが自分のつくった作品を売っていました。 そのなかのひとつに、3つの「

      • 「ぐるぐる」について➁

        前回投稿した内容の続き、というか途中経過です。芥川『歯車』の中に「ぐるぐる」したものを感じる、と書きました。あの「ぐるぐる」感はどこから来るのか、これはわたしの長年の疑問であり、テーマです。 たとえば、ゴッホの絵が分かりやすいと思うのですが、絵の中の、空や風、草木がうねるようなイメージ。渦巻くような描かれ方。思い返すと、私が最初に出会った「ぐるぐる」感は、ゴッホの絵でした。 坂口恭平さんの『土になる』を読んでいた時に、ベルクソン『創造的進化』から引用された、興味深い一節が

        • 「ぐるぐる」について

          『蜘蛛の糸・杜子春』の巻末の解説(三好行雄氏による)を読んでいて、気になる内容がありました。 「僕の母は狂人だった」という告白をする『点鬼簿』(大正15年)についてふれていました。 解説によると、 「龍之介がはじめて実家の父と母、姉などの骨肉の死の記憶を語った短編で、死に隣りあう憂鬱な心情をさながらに伝えている。」とあります。 探してみたところ、『点鬼簿』はちくま文庫『芥川龍之介全集6』に収録されていました。 読んだ印象は、とても「静か」でした。そして、とても寂しかっ

        マガジン

        • 吉本隆明
          3本
        • うずまきの研究
          3本
        • 芥川龍之介
          11本
        • 太宰治
          5本
        • 江藤淳
          10本
        • 夏目漱石
          18本

        記事

          『春の盗賊』感想文

          あまり期待してお読みになると、私は困るのである。これは、そんなに面白い物語で無いかも知れない。どろぼうに就いての物語には、違いないのだけれど、名の有る大どろぼうの生涯を書き記すわけでは無い。私一個の貧しい経験談に過ぎぬのである。 …………………………… 太宰治『春の盗賊』の冒頭部分です。(新潮文庫『新樹の言葉』に収録されています) この作品、とてもおもしろかったです! 内容としては、私(おそらく太宰自身が投影されている)の家にどろぼうが入ったお話。なのですが、その話が

          『春の盗賊』感想文

          ヴァージニア・ウルフ、太宰、『夏目漱石』から、思考の途中経過

          まとまっていないのですが、思考の途中経過を残す目的で書いています。読みづらい点、お許しください。それではどうぞよろしくお願いいたします。 ヴァージニア・ウルフ の『灯台へ』を図書館で借りてきまして、パラパラと読んでいます。 この作品は「意識の流れ」の手法で書かれた作品として知ったのでありますが、 太宰も、作品『女生徒』の中で「意識の流れ」を使っていました。 その他の太宰の作品を読んでみても 太宰はこの手法を多用する作家というか、「意識の流れ」そのものじゃん!と、そういう

          ヴァージニア・ウルフ、太宰、『夏目漱石』から、思考の途中経過

          『決定版 夏目漱石』感想文

          『決定版 夏目漱石』江藤淳 新潮文庫 『漱石とその時代』を初めて読んだとき、『夏目漱石』も気になりましたが図書館になぜか蔵書がありませんでした。 それで読む機会がないうちにちょっと忘れていたのですが、今回ふと思いだし、ついに購入しました。 読んでみて、なんだかもう、興奮して、エキサイティングです。 森鷗外と漱石先生の比較がとても興味深く、なるほどなあと唸りながらよみました。 わたしが鷗外の『舞姫』を読んだのは中学生のときで、主人公が留学して、エリスと愛し合うようになる

          『決定版 夏目漱石』感想文

          『I can speak』感想文

          太宰治の新潮文庫『新樹の言葉』の一番最初に、「I can speak」という、文庫にして4ページ分の掌編が収録されています。今回はそのお話をしたいとどうぞよろしくお願いいたします😊。 「くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷(ろうこう)の内に、見つけし、となむ。」という文章から始まります。 主人公は「私」。「生活のつぶやき」とでもいったようなものを書き始め、自分の文学の進むべき路

          『I can speak』感想文

          『シュークリーム』感想文

          『シュークリーム』内田百閒 山本善行 撰 灯光舎 2023年3月10日初版第一刷発行 題名にひかれて読んでみました。本書は内田百閒作品の中からのアンソロジーでありまして、撰者である山本善行さん選りすぐりの、味わい深い七編がギュッと収録されています。 表題作『シュークリーム』は、いちばん最後に収録されています。 「私が初めてシュークリームをたべたのは、明治四十四年頃の事であろうと思う」 という一文から始まる、長さにして2ページ分のお話です。 その当時百閒は地元岡山にいて

          『シュークリーム』感想文

          『こころ』感想文

          『こころ』を毎日少しずつ読んでいます。 途中経過としての個人的感想です。 『こころ』という作品は 「上 先生と私」 「中 両親と私」 「下 先生と遺書」の三部構成です。 「上 先生と私」 の 終盤で、「先生」の有名な言葉が出てきました。 「先生」と「私」の会話の中で出てくる言葉です。引用します。 「あなたは本当に真面目なんですか」(中略) 「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。(中略)私は死ぬ前にた

          『こころ』感想文

          文芸まんがシリーズ『三四郎』感想文

          今回は『三四郎』を漫画で読んでみました、という感想文です。どうぞよろしくお願いいたします。 こちらのまんがは「ぎょうせい」から出ている「文芸まんがシリーズ」の一冊で、元・日本近代文学館理事長の小田切進さんが監修しています。 「監修のことば」が素敵だったので引用します。このシリーズの信念というべきことばです。 『「まんが」は活字や映像とならぶすぐれた表現の手段として、限りない可能性をもっています。 このシリーズは、映像(絵)と活字のそれぞれの特色を生かして、明治・大正・昭

          文芸まんがシリーズ『三四郎』感想文

          『草枕』朗読CDを聴く

          本はいくつも同時進行で読むタイプなので何冊か読んでいますが、最近わたしは、なんとなく『草枕』の気分です。 なぜでしょう。なんとなくなので自分でもよくわかりません💦。 しかし、こういう「なんとなく」の感覚、けっこう大事にしています。この感覚とか勘だけを頼りにして歩いてきたようなものですので😊。 そんなわけで、『草枕』を図書館で探しました。 文庫がいくつか見つかりましたが、今回ご紹介したいのは、CDです! 新潮社から2002年に朗読CDが出ていました😊 作品紹介もかねて、

          『草枕』朗読CDを聴く

          『漱石とその時代』のスタート地点に立つ

          『漱石とその時代』、表紙&裏表紙のすぐれた文章をご紹介するという、自分なりの目標を、最後まで終えることができました。 それでようやく、この大著を読むスタート地点に立てました。 ここですこし、こぼれ話があります。変な日記番外編としてお送りします。 「始まり」のお話です。 始まりは芥川龍之介『羅生門』でした。このお話は以前投稿しまして、そのときにも書いたのですが、 高校生のとき、現代文は三年間同じ先生で、その先生はプリントを使って授業するスタイル。先生自作の『羅生門』プリ

          『漱石とその時代』のスタート地点に立つ

          『漱石とその時代』第五部

          第五部です。 「未完にして永遠の漱石評伝、最終巻。」です。 こちらは、旧版の表紙に江藤淳の言葉が載っていません。その空白に、寂しさが募ります。 そのかわりとして、新版の帯の言葉から引用します。 『出自のもたらす義理と血縁とにまつわり付かれたまま、人は死ぬまで生きていなければならない。明治の日本で高等教育を受けた人間にとっても、この事実に変りはなかった。選ばれて「遠い所」へ行き、そこから「誇りと満足」を隠し持って帰って来た人間にとっても、そうであった。』(本文より) そ

          『漱石とその時代』第五部

          『漱石とその時代』第四部

          第四部です。 どうぞよろしくお願いします😊 第四部❬表紙❭ 著者(江藤淳) 『明治四十年三月、東京朝日新聞社に入社して小説記者となった漱石は、ほとんど休みなしに『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』などの諸作を連載しつづける。しかし、文名が挙るにつれて養父塩原昌之助が彼の前に出現し、養育料を請求するという事件が起った。心身の消耗はついに修善寺の大患となるが、辛くも蘇生したとき、彼は自分を育てた明治という時代の終焉を迎えることになった。第四部は明治末期の五年間を叙する。

          『漱石とその時代』第四部

          『漱石とその時代』第三部

          ようやく中盤、第三部です。どうぞよろしくお願いします。 第三部❬表紙❭ 著者(江藤淳) 『明治三十八年一月、『我輩は猫である』で一躍文名を挙げた漱石は、日露戦争から戦後にかけて、驚くべき多彩な作家的才能を示しつづけた。しかし、この間に血縁と親族のしがらみは、いつしか"捨てられた子"である漱石の身辺を脅かしはじめた。第三部は、こうして文科大学講師夏目金之助がついに転職を決意するにいたり、東京朝日新聞小説記者夏目漱石となったいきさつを、内と外から跡付けようとした試みである。』

          『漱石とその時代』第三部