福住美和

本と音楽が好きです。 インスタグラムで書いた文章のまとめをこちらに。

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最近の記事

『シュークリーム』感想文

『シュークリーム』内田百閒 山本善行 撰 灯光舎 2023年3月10日初版第一刷発行 題名にひかれて読んでみました。本書は内田百閒作品の中からのアンソロジーでありまして、撰者である山本善行さん選りすぐりの、味わい深い七編がギュッと収録されています。 表題作『シュークリーム』は、いちばん最後に収録されています。 「私が初めてシュークリームをたべたのは、明治四十四年頃の事であろうと思う」 という一文から始まる、長さにして2ページ分のお話です。 その当時百閒は地元岡山にいて

    • 『こころ』感想文

      『こころ』を毎日少しずつ読んでいます。 途中経過としての個人的感想です。 『こころ』という作品は 「上 先生と私」 「中 両親と私」 「下 先生と遺書」の三部構成です。 「上 先生と私」 の 終盤で、「先生」の有名な言葉が出てきました。 「先生」と「私」の会話の中で出てくる言葉です。引用します。 「あなたは本当に真面目なんですか」(中略) 「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。然しどうもあなただけは疑りたくない。(中略)私は死ぬ前にた

      • 文芸まんがシリーズ『三四郎』感想文

        今回は『三四郎』を漫画で読んでみました、という感想文です。どうぞよろしくお願いいたします。 こちらのまんがは「ぎょうせい」から出ている「文芸まんがシリーズ」の一冊で、元・日本近代文学館理事長の小田切進さんが監修しています。 「監修のことば」が素敵だったので引用します。このシリーズの信念というべきことばです。 『「まんが」は活字や映像とならぶすぐれた表現の手段として、限りない可能性をもっています。 このシリーズは、映像(絵)と活字のそれぞれの特色を生かして、明治・大正・昭

        • 『草枕』朗読CDを聴く

          本はいくつも同時進行で読むタイプなので何冊か読んでいますが、最近わたしは、なんとなく『草枕』の気分です。 なぜでしょう。なんとなくなので自分でもよくわかりません💦。 しかし、こういう「なんとなく」の感覚、けっこう大事にしています。この感覚とか勘だけを頼りにして歩いてきたようなものですので😊。 そんなわけで、『草枕』を図書館で探しました。 文庫がいくつか見つかりましたが、今回ご紹介したいのは、CDです! 新潮社から2002年に朗読CDが出ていました😊 作品紹介もかねて、

        『シュークリーム』感想文

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        • 内田百閒
          4本
        • 夏目漱石
          16本
        • 江藤淳
          8本
        • 吉本隆明
          2本
        • 太宰治
          2本
        • 芥川龍之介
          9本

        記事

          『漱石とその時代』のスタート地点に立つ

          『漱石とその時代』、表紙&裏表紙のすぐれた文章をご紹介するという、自分なりの目標を、最後まで終えることができました。 それでようやく、この大著を読むスタート地点に立てました。 ここですこし、こぼれ話があります。変な日記番外編としてお送りします。 「始まり」のお話です。 始まりは芥川龍之介『羅生門』でした。このお話は以前投稿しまして、そのときにも書いたのですが、 高校生のとき、現代文は三年間同じ先生で、その先生はプリントを使って授業するスタイル。先生自作の『羅生門』プリ

          『漱石とその時代』のスタート地点に立つ

          『漱石とその時代』第五部

          第五部です。 「未完にして永遠の漱石評伝、最終巻。」です。 こちらは、旧版の表紙に江藤淳の言葉が載っていません。その空白に、寂しさが募ります。 そのかわりとして、新版の帯の言葉から引用します。 『出自のもたらす義理と血縁とにまつわり付かれたまま、人は死ぬまで生きていなければならない。明治の日本で高等教育を受けた人間にとっても、この事実に変りはなかった。選ばれて「遠い所」へ行き、そこから「誇りと満足」を隠し持って帰って来た人間にとっても、そうであった。』(本文より) そ

          『漱石とその時代』第五部

          『漱石とその時代』第四部

          第四部です。 どうぞよろしくお願いします😊 第四部❬表紙❭ 著者(江藤淳) 『明治四十年三月、東京朝日新聞社に入社して小説記者となった漱石は、ほとんど休みなしに『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』などの諸作を連載しつづける。しかし、文名が挙るにつれて養父塩原昌之助が彼の前に出現し、養育料を請求するという事件が起った。心身の消耗はついに修善寺の大患となるが、辛くも蘇生したとき、彼は自分を育てた明治という時代の終焉を迎えることになった。第四部は明治末期の五年間を叙する。

          『漱石とその時代』第四部

          『漱石とその時代』第三部

          ようやく中盤、第三部です。どうぞよろしくお願いします。 第三部❬表紙❭ 著者(江藤淳) 『明治三十八年一月、『我輩は猫である』で一躍文名を挙げた漱石は、日露戦争から戦後にかけて、驚くべき多彩な作家的才能を示しつづけた。しかし、この間に血縁と親族のしがらみは、いつしか"捨てられた子"である漱石の身辺を脅かしはじめた。第三部は、こうして文科大学講師夏目金之助がついに転職を決意するにいたり、東京朝日新聞小説記者夏目漱石となったいきさつを、内と外から跡付けようとした試みである。』

          『漱石とその時代』第三部

          『漱石とその時代』第ニ部

          第二部です。それではよろしくお願いいたします😊。 第二部❬表紙❭ 筆者(江藤淳) 『明治三十三年(1900)十月、漱石は官命によって英京ロンドンに留学した。それはヴィクトリア女皇崩御直前のロンドン、都市化と産業化の波に洗われつつあるロンドンであった。この大都会に投入されて錯乱した一人の孤独な留学生から、夏目漱石という作家が誕生するまでの変身の過程を、私は第二部に描こうとした。私はいわば、漱石を文学史と「漱石全集」から自分の手に奪還したかったのである。』 第二部❬裏表紙❭

          『漱石とその時代』第ニ部

          『漱石とその時代』から

          どうしようかといろいろ考えていたのですが、やはり、旧版の表紙と裏表紙の文章がどう考えても非常に素晴らしいので、この場を借りてご紹介したいと思いました。 短めの文ながら、本の内容の本質的なところを捉えていますし、心に深く響くような、ぐっとくるものがあります。この本の魅力を伝えようと、わたしが千の言葉を尽くしても伝えきれないことを、この文章は的確にわかりやすく、そしてこころに響く言葉で伝えています。 また、いままでもっていなかった大きな視点を与えてくれました。それは明治という

          『漱石とその時代』から

          『無事購入できました』

          『漱石論集』『漱石とその時代』無事購入できました😊。 『漱石論集』は古本屋さんで購入したので、届くまでドキドキしていましたが、本の状態は良く、安心しました。そしてさらに嬉しいことに、透明のブックカバーをかけた状態で送ってくれました。その心遣いがとても嬉しく、またこのお店で買いたいと思いました😊。 そして『漱石とその時代』、第一部から第五部までそろえることができました。ページをパラパラとめくると、あたらしい本の匂いがします。わあ、嬉しい!と喜びました。 が、しかし。喜んだ

          『無事購入できました』

          漱石作品を読むにあたって

          評論は、あまり読まないようにしていたのですが、漱石作品を読むにあたって、分からなことがあったときに「これってどういう意味なの?」と聞きたいわけです。そんなとき、返事をしてくれる本が欲しいのです。 (今のところ、どの本もまだ返事をしてくれません。わたしの読み込みと修行が足りないようです。本が返事してくれるようになったら、それがわたしの到達点と言えるでしょう。) 探してみましたら、吉本隆明『夏目漱石を読む』を見つけました。前述したような存在になってくれることを願って購入しました

          漱石作品を読むにあたって

          『家族のゆくえ』を読んで

          わたしは、わりと「考える」タイプでして(考え過ぎてこじらせるタイプでもありますが)、「考える」ということにおいて、ずっと自分を支えている言葉があります。 今日はそのことについてお話してみたいと思いました。 (以下敬称略で失礼します) この本、吉本隆明『家族のゆくえ』の中で出会った言葉です。 引用します。 『普通、「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない。 わたしが埴谷雄高(はにやゆたか)さんに感心する点もそこにあった

          『家族のゆくえ』を読んで

          『こころ』の準備ができました

          ようやく「こころ」の準備ができました。 え?なんのことかって? ようやく、夏目漱石『こころ』を読む準備が整ったと、そういうことであります! われながら、長い準備期間を経ましたが、そろそろ読んでみようと図書館へ走りました。 読むにあたり、やはり大切なのは本の選定です。 『こころ』ほどの名作なら、いろんな出版社から出ているはずです。その中から、自分にとって読みやすいものを選びたい。 ここで活躍するのが図書館です!各社同タイトルを見比べることができる!なんて素晴らしき図

          『こころ』の準備ができました

          『さびしい』という感情について

          「さびしい」という感情について、以前から考えています。 これは何かで消せたり、 抑えられるものなのか いつもあるわけではなく、 時々ひゅうっと入ってくるので、 何か引き金があるのだろうか 感覚的には 寄せては返す波のように繰り返しやってくるので、その波間で漂っている感じがあります(たまに高波にのまれる)。 わたしはいろんな方とお話をする機会に恵まれているのですが、 20代のころ、 わたしよりかなり年上の女性で、結婚して、子どももいて、孫もいて、社会的にも成功している方

          『さびしい』という感情について

          漱石作品を読む前に

          ここしばらく、漱石作品を読んでいました。「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「私の個人主義」「硝子戸の中」など、短いものから読み始めてみました。 そして真珠貝に似た貝を手に入れて、土を掘ってみよう!という「夢十夜・第一夜ごっこ」をしようと目論んだり、楽しくやっておりました。(貝は入手しましたので、あとは怪しまれずに土を掘る場所を探すだけです。) ゆくゆくは、「草枕」「それから」「こころ」「道草」「明暗」などなど、読んでいきたいと思うわけです。 しかし、昔読もうとして

          漱石作品を読む前に