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良いも悪いも、環境が自分を大きく変えることを痛感した「山口美生24歳」

チームから退いて、早6ヵ月…。
特に6・7・8月の3ヵ月間は、目まぐるしい環境の変化に心と身体がついていけず、地下に潜っていました。。
自分がどういう人間だったのか、これからどう生きていけばいいのか…
それが分からなくなっていました。

今回はそんな3ヵ月間とその想いを、隠すことなく書き記していこうと思います。


・はじめに

この記事、とんでもなく長いです。
2部構成にしようとも考えましたが、それでは意味がなかった。
それぐらい濃く、そして生活も心境も大きく変化した3か月でした。
ですので、お休みしながらでも最後までお付き合い願えると嬉しいです。
そしてこの記事が、皆さんの「良いも悪い」も、色々なことに目を向けて考えるきっかけになることが出来ればいいなと思います。

さて、先日 Instagram と Twitter でご報告いたしました通り、この度、赤ちゃんを授かりました🍼👶👏
⇩報告したときの投稿はこちら⇩

チームを辞めたのは妊娠3か月の時でした。
もちろん妊娠だけがきっかけで辞めたわけではないです。
ただ、アナリストとしてこれまで場所を問わず、自分の直感の赴くままに活動を行ってきた怒涛の6年間…妊娠をきっかけに「1人の女性として生きてみたい・違う分野にも挑戦してみたい」そう思い、出産を経て、育児と自分のやりたいことの両立をしていこうと心に決め、アナリストの表側から退くことを決めました。

この両立、1人ではそう出来たものではありません。
もちろんパートナーがいて、一緒に子育てをしていくからこそ、自分のやりたいことも捨てずに進んで行ける…そう思ったから、まだ移住して間もない土地で産むことにも迷いがなかったです。

でも、私が思っているものと現実はかなり違いました。。

・6月編

6・7月のお話をする前に…
この2ヵ月間は本当に地獄でした。
なので正直思い出したくはないです。
でも今までの私と決別するきっかけになったのは、この2ヵ月があったからです。
そして良いも悪いも「他人ってなに?人間ってなに?」って今まで以上に考えられるようになったのも、この2ヵ月を経験したからなのかなと思います。
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さぁ動き出す準備をしよう!としていた6月の頭、事件は起こります。
お腹の子の父親が他の人のところへ行きました。
(もうあの…察してください。笑)
最初は全く理解が出来ませんでした。
”え?何故に?あのー、私のお腹にあなたの子供いますよね…??”

結婚という形がなくとも、同じ環境下で一緒に暮らして育てていけるから大丈夫…そう思っていた私が甘かった。
とても言葉では言い表せられないほどショックを受けました。

はい、ここで私のメンタルが人生で経験したことがないぐらい落ちました↷
正直に言います。
いっそのこと消えてしまいたいと、本気で死のうとしました。
関係している人たち皆んな呪い殺してやろうとさえ思いました。

また今度、別の記事として書こうと思っていますが、”どん底”って今のようなことを言うんだなと…本当にそれぐらい人生「詰み」状態でした。

でも1か月間、色んな想いをずっと自分の中に閉じ込めて、彼には追求しませんでした。
何も言わず、全部自分で消化しようとしていました。
しかし、どん底メンタル真っ最中なのでそんな我慢も出来ず、一緒に住んでいた家どころかこの街さえも嫌になり、逃げるように実家に帰りました。
もう立ち上がれない、でも子どもは絶対に堕ろしたくない…。
こんなグラグラのメンタルの中、この先どう生きていけばいいのだろうと…

ここで私がとった行動は、とにかく地元の仲間や恩師に会いに行くことでした。
何か生きる希望となるヒントが見つかるかもしれない。その一心で。

帰ると決めたその日にみんなに連絡したのに、急なお願いにも関わらずあの時に会ってくれた方々、本当にありがとう…。


さて、少しメンタルが回復した後に、意を決して、彼と話をしました。

あの人の性格上言いたいことは分かるし、理解できる、応援したいとも思う。
今後も子どもとの関わりは持ってくれるし、母子共に負担のかからないように考えて助けてもくれるとも言っている、、でもその隣に私はもう居ない。
(『っていうか、それお腹の子と私から離れる事と関係ある??ないよね??
なんで別の女のところに行くという思考と選択になるの?アホなん??』)
みたいな…笑
そんな頭では分かっているけれど心がついていかない状況のまま、7月に入りました。

・7月編

妊娠初期も後半に入り、メンタルも体調もより一層不安定な中、私は心が全く切り替えられずいました。
ですが、それでも、自分のためにも子どものためにも動き出さないといけない。
ここでも私はとにかく人と会うことを増やしました。
沢山の人と話をするうちに、
『この人は私の事を考えて話をしてくれているし今後も関わろうとしてくれている…
この人は私のこれまでやこれからを利用して、ただ傍観者として見てるだけだな…』
そういったことがより敏感に感じれるようになりました。
そしてこの沢山の人と会うという行動は、他人との関わり方を考えるきっかけにもなりました。

『これまで周りが生きやすいように他人を優先してきた自分自身の、この生き方をやめよう』

”人の幸せのために自分の出来ることをする。”
この意志は変わりません。
では何をやめたかというと、全員相手に自分の時間を使うことをやめることにしました。
人を優先するということは、自分を後回しにしていることになります。
当たり前じゃんって思うし、それやめるって冷たい人間だなって思われるかもしれませんが、続けていると凄くしんどいです。
そういったことを全員にしていると余計に自分自身が削れていく。
私の場合、これまた頭では分かっていましたが、削れていく自分を見て見ぬ振りをしてここまで生きてきました。
誰に頼まれたわけでもなく、自分が勝手に人のために時間を使っている。
それが自分の生きがいだと思い込んでいたからです。
要するに『良い子ちゃん』で居ようとしていたんです。

これからは、もっと自分自身を大切に。
自分が本当に大切にしたい人、これから生まれる息子、そして心を大切に。
自分が信じた道を大切にして正解にしていきます。


そして彼とも、当時まだ色んな感情を抱きながらも話をしたり聞いたりする中、
頭と心が離れたこのモヤモヤした感情を

”捨てて・全部受け入れる”

ことを決めました。

彼は彼の人生を進んでいて、そこに私は干渉することも出来なければ私の生き方や意見を押し付ける権利も無い。
『どうして私じゃなかったんだろう。戻ってきて欲しい。』そんなこと伝えたところで絶対にその未来はやって来ない。

本当に悔しかった、
この半年間、いや出会った時からの3年間を恨んだ、
何を希望に生きていけばいいのか分からなかった、、、。

居なくなると分かったこの2ヵ月は自分自身とその運命を酷く恨みましたが、

『諦めて、受入れて、お互いが幸せに生きていける道を進んだ方がきっと自分も楽に楽しく生きていける。』

彼と話をしている中で、自分自身そう決心がつきました。

ちなみに、”諦めて”と書きましたが、この『諦める』という語源を、皆さんはご存じでしょうか?
現在ではマイナスな言葉として使われるイメージがありますが、
元々は仏教用語である『諦観(ていかん)』が変化したものだそうです。

意味は、
”あきらかに見る”

物事をあきらかに見て、その事実と向き合い、そして受け入れる。
そういった意味があります。
なので、私が行った『諦める』は
”このままでは関係性が上手くいかないから、全て諦めて受入れよう…”
といったマイナスな意味ではなく、

”一人1つの人生を生きる人間として、他者が決めた意志は他者に変えれるものではない。ならば全て受け入れて双方が幸せな人生を送れるようにしよう”

といったように、客観的思考で、あきらかに見て、向き合い、受入れました。


・8月編

さてさて、全て受け入れた私は、ここで無双モードに入ります。笑

私は私、彼は彼で、相手の女は女で。もう何でもええわ、気にしてるだけ時間の無駄やし、私それどころじゃないし!そんなん考えるより、自分のこと考えよ!!って。笑
私の事を理解して入れてくださった新しい職場での仕事も8月から始まることもあり ”THE 心機一転” で8月の幕開けをしました。

この”人は人、自分は自分”のメンタルを少しだけど持つことが出来たことで、頭と心がごっちゃごちゃ状態が段々と無くなっていきました。
周りの方々にも「顔つきとか雰囲気が変わったね」と声をかけていただくようになったのも、この頃です。
私自身も自分の周りのご縁や氣が良くなっていくのが分かりましたし、実際いい方向へ何事も進んでいたので、自信に満ち溢れていたんじゃないかなと思います。

そして1つ大きな決断をしました。
それはまた別の記事にでも書くこととします😊

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私は、私とこれまでの時間関わってくれた人たちと話をする中で、
良くも悪くも
『私っていつでも突き進んできたよね、みんなが経験できない事をやらせてもらってきたよね。』
というように、これまでの自分の足跡をもう一度見つめ直すことが出来ました。
今回も同じです。
まだnote等に書いていないことが多いですが、私はこれまで周りの24歳が経験出来ないような道を歩んできました。
そして今まさに、世間一般の思い描く家庭とは違った形でのシングルマザーとして、新しい土地で子供を産み、育てようとしています。
『また私はみんなと違うことを経験するのか…』と。
なにより、この現状にワクワクしている自分がいました。
だからもう一度、立ち上がり、進むことを決めました。

私という人間は、きっとこの形の生き方しか出来ないんです。笑
ならば、それに嘘つかず自分の心や氣の赴くまま生きてやろうじゃないの!
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今回正直、noteを書くかどうか悩みました。
私の本当の想いを書くことで怒りを覚える方がいたり、子どもの父親である彼にも嫌な思いをさせると思ったからです。
でも、

もし私と同じような思いで苦しんでいる人がいるのなら…
その人の心の支えに少しでもなることが出来れば…
私が新しいシンママの形を作りたい…

その想いで書いて発信することを決めました。
もちろん、彼にも発信することに対し許可を貰って書いています。
そして同時に、”この境遇にいないその他多くの方々”に、
私の発信を受けて、もう一度考えてみて欲しいことがあります。
それは、

多様性とはなにか、
普通とはなにか、
尊重とはなにか、
生きるとはなにか、
幸せとはなにか…。


それぞれにそれぞれの考え方があります。
私はあなたではないし、あなたも私ではない。
当たり前です、それが多様性です。
みんな1人1人違った感性を持つ人間なんです。

私は、彼やその相手の事、許す許されるとかいう問題ではないと思っています。
現在は、2ヵ月間の辛かったことも、その時に起こった問題も無くなりました。
妊娠期間で不安定なメンタルも支えてくれていますし、定期的に会ってご飯を食べたりして過ごしています。
でも事実は残り続ける。心にはずっと傷として残る。
ただ、私と彼がお腹の子の親である、というのも事実です。

前提として、私自身にも比は大きくあります。
私自身も許されるべき立場ではありません。
ですが、先述したように
『受け入れた』
そう表現した方が適切かなと思います。


そして、この投稿をしたことによって、私に対しても彼に対しても批判があることは分かっています。万人に受け入れられる考え方でも行動でもないからです。
でもそれを、”間違っている。”と頭ごなしに否定するのはまた違うと思っています。

はっきり言います。
私たちはいわゆる『普通の家族の形』ではないです。
常識的な考えからは程遠く外れています。
この時代の生き方、この国での生き方ではないかもしれない。
その自覚はあります。
それでも私は、自分と自分の子どもが幸せになるために、この道を選びました。
私は全部これが最後だと心に誓い、
もう一度だけ、この今ある現状と環境を信じてみることにして、
12月の出産に臨みます。
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『子どもが可哀そう』

この言葉も半年間で沢山言われましたし、今後も色んな場面で言われることでしょう。
「幸せになれない、悲しい思いをする、子どもが辛いだけ…」
今この記事を読んでくださっている方々の中にも、そう思った方は少なくないのではないでしょうか。
でも子供にとっての幸せの価値基準は、これから私たちの子供自身が築いていくものだと思っています。
この子以外の何者にも、幸せの形を決める権利はないんです。
ただし、この子自身が ”幸せを形作るためのギミックを置く義務" は、私たち親にあります。
そしてそれは親だけじゃなく、環境と、関わる周りの人全てにあるんです。
そこは責任を持って、色んな世界を私たちの息子に見せてあげたいと思っています。

そして私自身、

幸せは見つけるものではなく自身で創りだすもの

だと思っています。
”幸せを見つけることが出来ない…私の幸せはどこにあるの…”
そんな言葉をよく耳にしますが、無いものを探しても見つかりません。
沢山挫折して、泣いて、整理して、また立ち上がって歩きだす…
幸せとは、そうやって自分で創っていくものなのではないでしょうか。

そして、冒頭で書いたこの言葉…
”もちろんパートナーがいて、一緒に子育てをしていくからこそ、自分のやりたいことも捨てずに進んで行ける…”
6月の私は確かにこう思っていました。
でも今は違います。
”全部自分自身”
「自分のやりたいこと」「自分の信念」それはいつだって自分自身で貫くもの。
子どもがいるからやりたいことを捨てるのも、相手がずっと側にいないからといって出来ることが狭まるのも違う。
でも全部が全部を1人では出来ない。
だから、支えてもらうところは支えてもらって、全部捨てずに進みます。
一番大事なのは、「捉え方次第で幸せになることが出来る。」
これじゃないかなと思っています。
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ここまでの文字数、実に5,500字越え。
最後まで読んでくださった目の前のあなた。
本当にありがとうございます。
今回この記事を書くのに、3か月以上かかりました。
沢山言葉を選んで、慎重に、そして一つ1つの想いを大切に書き記したかったからです。

少しでもこの想いが真っ直ぐに届いていますように。
皆さんが色んな価値観や想いに目を向け、知ろうとするきっかけになりますように。

そして同じような境遇や考え方、生きにくさで悩む方々の
「休憩場所」
として、もう一度自分自身と向き合えるような記事となりますように。
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ごめんなさい、最後に1つ。笑

批判なんて承知。
私は影だろうが何だろうが目一杯に生きてやる。
影にならない場所では、大きく自由に生きてやる。
息子が自慢できる母親になる。
こんな私でも、支えてくれる人たちと共に歩み、共に生きて、
必ず幸せになる。
もう腹は括った。全部覚悟を決めたんです。
今回発信するのも正直怖かった。
自分のこれまで築き上げてきたものや友人、
それを一気に全て失うかもしれないから。
それでも私は私に嘘つきたくないし、自分の想いや直感、信じてきたもの、それらを曲げたくない。
たとえそれが我がままだと言われようと。

物事の捉え方は人それぞれ。
いいんですそれで。

私はこれまでの24年間を色んな環境に身を置いて生きてきました。
どんな場所でも悩んだり考えたり、泣いたりをしなかった場所はないです。
正直ここ3年間は、とてもしんどかった。
でも、そんな周りの24歳が経験出来ないような事を、とんでもないスピードで経験させてもらいました。
そしてこの3年間、どんなしんどい時でも気にかけてくれて励まし、また時には怒って支えてくれた大切な人たちが私の周りにはいます。
彼もその1人でした。
(きっと「そんなつもりはないよ。」って言うとは思いますが…笑)
でも、それプラスその環境ごとに自分の生活スタイルを変えたり、迷いながらも思考を止めることをしなかった自分がいたから、今私はここに居ると思っています。
その上で今回の考えと決断をしたわけで、なにも考え無しに生きてるわけじゃない。

意固地半分 + 理性半分 =責任。

頭と心とで色んな事を考えて、私自身今の形を作りました。
今後、私は息子と、そして彼と、少し変わった家族の形を進みたいと思っています。
こんな形があってもいいんだ、生きやすい世の中は自分次第で創れるんだと魅せていきたい。
そう思っています。


私が心から愛した人との間に命を授かった。
色々あったけど、その事実だけで十分。
たかが24年しか生きてない。
自分勝手上等。
私の幸せの価値は、私にしか決めれない。




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