流れる雲を追いかけて③
前回はここまで
LINEを見てなかった奥さんは事情がわからず
「階段から落ちたの?」
と呑気に声をかけてきた。
鬼嫁である。(そんなことありません)
笑う余裕もないまま息も絶え絶え事情を説明して事態を把握…とにかく救急車を呼ぶことになった。こういうときウチの奥さんは頼りになる。狼狽することなくテキパキと動く。背負っていたリュックを着脱させ、まだ手に持っていたスマホを取り上げ、ポケットにあった家の鍵も回収された。(失くすといけないので)
後で訊くと、そのときはアドレナリン爆発でオロオロしてる場合じゃなかったと…。
こうして人生2度目の救急搬送が幕を開けたのだ。
救急車は20分ほどで到着するらしく、奥さんが容態を電話で伝える声がぼんやりと聴こえている。その声を耳の奥で遠くに感じながら僕はひと安心した。現金なものである。救急車が来ると聴いただけで不思議と力が湧くものなのだ。
遠くからサイレンの音が響き、程なくして救急車が家の前に到着した。
すぐさま降り立った救急隊員は、階段に横たわったままの僕に意識の確認を取る。
「どうされましたか──」
横になったことで少し回復していた僕は、名前と何が起こったかを話し始め…けれど途中で
「とにかく乗せちゃおう」
と救急隊員が制止、そしてドラマでよく見る「1、2、3!」で担架に乗せられ、そのまま車内へと押しこまれた。先月講習を受けた救急救護を思い出す…
「実際はこんな感じなのか…」
などと冷静に状態を分析する。
以前の救急車体験は階段から落ちて肋骨骨折だったけれど、そのときは歩けたのだ。
救急搬送
──車内は目が開けられない程の眩しさだった。
構わず処置が始まる。まず瞳孔のチェック、すぐに血圧計を取り付けられ、心電図のコードもベタベタ貼り付けられる。この時点で血圧は80くらい。酸素濃度は96%…血圧が低いので両脚を折り曲げ高くして血圧を稼ぐことに。
ひとりの隊員が
「大丈夫ですよー、血圧83、ちょっと低いなー、あー酸素濃度はまぁまぁですねーお腹痛くないですかー」
などなど、延々と話しかけてくる。
いちいち答えるのが面倒だったけれど、よくよく考えると、これって意識の確認なんだよね。
そのときの僕は
「何とかなった── とにかく病院まで行けば、後はドクターにお任せだ」
などと楽観的に捉えていたけれど、客観的に見たら重体である。医者は万能ではない。
意識を失うほどの出血(結果5回の下血により体液も含めおよそ1500cc〜2000ccほど消失)それに伴う血圧低下…普段は120くらいだから40くらい一気に下がったのだ。とくに意識を失うのはヤバいらしく、出血のショックによる失神という見立てがあっても救急隊員には状況がわからないので、最大限に病状の範囲を広げて説明しなくちゃならない。
そう、そのときもうひとりの隊員は搬送先の打診に追われていたのだ。
1件目、2件目、3件目…
1回連絡するごとに症状を伝えるため時間がかかる。しかも金曜日の深夜(多分1:00過ぎ)なのでドクターが手薄なのだ。内視鏡検査ができる体制が整わず断られている。
「次!」
僕はちょっと涙目だ。
こんな僕のためにこの人は必死で搬送先を探してくれている──
結局、1回断られた病院からOKが出て、いざ出発となった。多分40分くらいはグダグダしただろう。
この40分間で、今から搬送される病院内でもドラマがあったに違いない。一度は断ったけど再度受け入れを決めるなんて、受け入れ側の覚悟は相当なはずだからだ。
──揺れる車内。
眩しくて薄目で天井を見上げながら僕は思っていた。
「とにかく助かった…」
そして
「結局救急車になったの同僚に連絡してないな──…家に着いたらLINEするって言ったけど」
なんて余裕も心の中でかましていた。
この後、到着した病院で受け入れを決めてくれたドクターが浜辺美波さん(マスクで目しかわからないが似ている)だとは、まだ知る由もない。
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