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寓話Ⅰ(風の吹く街)

 ある所に静かな街がありました。人口はそんなに多くはありませんでしたが、街としての機能が十分に満たされていて、不安も不満も無く、人々は平和に暮らしていました。財政もそんなに潤沢ではありませんでしたが、皆、仕事を持ち、貧乏でもなく、お互いがお互いを羨む事もありません。一日を仕事に費やし、勤労の喜びを味わいながら繰り返される平和に満ちた明日の為、おのおの家庭で心ゆくまま休息し、健やかな生活を心得ていたからです。しかもそれは皆それぞれ、お互いの為でした。
 
 市長は賢明な判断で言葉を選び、議会や演説や講演を行い、公正な指示による政治を目指し続けます。事実、大きな格差を生み出す事も無く、経済不安も、不穏な動きも何もありません。健康な人は病人達を労わり、病人は適切な治療を自由に受ける事が出来、保険制度は十分に機能し、誰からも不満がでる事もありません。社会保証もすこぶる健全で、この街のすべての人々はお互いに信頼し合い、協力し合ってお互いの為だけに生きようとしていたのです。
 
 ところが、円滑に動いていたこの小さな社会の中で、ある時問題が起こります。それは些細な誤解と、感情の行き違いと、お互いの勘違いでしたが、水面に落とされた墨汁の様に、それは街中に広まり、悪影響を与えてしまいます。問題解決に不慣れな人々はうろたえました。そして今まで信頼していた街の人々は互いに対立し、孤立し、懐疑的になり、お互いがお互いを敬遠し合う様になってしまったのです。 
 
 頼りがいのあったはずの市長は問題を先送りし、目の前の不和に対する対抗手段を講じる事が出来ません。人々も同じ様に解決の手段を思いつけず、今まで普通にあった平和で安泰な生活は失われてしまいます。街は冷たくなり、社会はぎこちなく作動し、人々は憎み合う程にまでなってしまいました。生活は一変してしまったのです。何故このような事態になってしまったのか?人々はその理由を探る事すら出来ませんでした。
 
 ある時、青年が疲れて、街の片隅にある大きな木に何気なく寄りかかると、その木は青年の体重を支える事が出来ず、根が周りの土を勢い良くはね飛ばし、倒れかけてしまいました。危うく転びそうになった青年は、
(こんなに大きな木なのにどうして)
と、驚きの表情で大木と一緒に転び怪我をしなかった事にほっとし、その場を立ち去ろうとします。でもその時、青年は倒れかけ、むき出しになっている大きな木の、小さな根元に気づきました。
(なんて小さな根なのだろう)
そして考えました。
(この小さな根でこんなに大きな木がここにいつまでも立っていられたものだ。でもどうして今まで倒れなかったのだろうか。もちろん僕が寄りかかったから倒れたに違いないのだが、巨木と言って良い程の大きな木の根が、なぜこんなにも小さいのだろう?)青年は斜めに倒れかかっている大木を見つめながら思いを巡らせていました。
 
 さて、いくら時間が経っても、街の人たちは感情の縺れや綻びを払拭する事が出来ず、お互いに対する憎悪は増加し、消え去る事はありません。長い間あれだけお互いを信頼し、何事も無く平穏に生活していたのに、今は平和の代わりに憎しみが人々を満たし、お互いが疑い続け、その解決策を市長も誰も思いつく事が出来ないのです。些細な事からでしたが街全体での初めての諍いの解決を、誰ひとりとして行う事が出来ません。街は停滞し荒廃し不平等が蔓延し、倒壊寸前にまでなってしまいました。
 
 考え続けていた青年は、大木が簡単に倒れかけた理由がわかりました。
(この大木は、大きく成長はしたけど、変化している環境に対応出来ず根を張れなくなってしまっていたのだ。いやむしろ、根が小さくなってしまったのだ。ではどうして根が縮小してしまったのか?恐らく風に吹かれる事が少なくなったか、あるいは全く風に吹かれなくなってしまったのか、のどちらかだろう。木を揺すり、揺るがし、吹き飛ばそうとする何かの力が働き続けていないと、根は鍛えられずに萎縮してしまう。この木はきっとそうだったに違いない)
 
 青年が見上げるその倒れかけた大木の周りには、洗練された機能的な大きなビルや看板が密接に立ち並んでいて、風の入り込む隙間が全く無くなっていました。つまりこの大木は長い間、外部から圧力となる風の影響を受ける事が出来ていなかったのです。だから踏ん張る為の、根の発達が必要とされず、返って枝や幹の方に養分が使われ続け、巨木にはなりましたが、木としてのバランスが崩れていたのです。この木は、ただ漠然と立っていただけの木だったのです。
 
 倒れかけているこの街の躓きは、人々の中に蔓延した自分だけを満たすにしか過ぎない、一見豊かで平和に見える慢心でした。他人を思いやってはいましたが、それは自分の為でした。他人との争いを避けては来ましたが、それは平和ではなく、本当の事を追求せず、穏便に物事を進める、その場凌ぎの安易な決断でした。そして本当の事を追求する為の喧嘩や争いは、理不尽で原始的だと言う考え方が個人個人の心を支配していたのです。人々は、より良く生活していたのではなく、本心を偽り、生活や他者に遠慮し、敬遠し生きていただけでした。それがこの街の人々にとっての望ましい生き方でした。
 そして長い間、良い面だけしか経験する事が出来なくなっていた心には、生活を立て直す為に必要な試練に耐え得る根が残らず、些細な問題が起こると、その事態にさえ、忍耐を持って対応する力が失われていたのです。自分達で自分を囲い、風の吹かない街としてしまった事実が根を萎縮させ、何かのきっかけで倒れかけると、もう、街と言う生い茂った大木は踏ん張れません。街は、あまりにも平和で温和である事を求め過ぎた為、根が張れなくなり、些細な問題にも耐える力が無く、倒れかけてしまっていたのです。
 荒波に揉まれる様に、時には強風に吹きさらされる経験がなければ、本当の幸せを経験する事は出来ません。風の吹かなかった街は、ある日突然倒れかかり、もはや誰もそれを止め、解決する術を持つ者はいませんでした。今までこの街の人々は、誰も風を経験した事が無く、誰も風を経験しようともしなかったからです。
 
 青年はそれに気づきましたが、倒れかけている大木を引き起こすには独りではあまりにも力がありません。青年は皆でこの大木を引き起こし。もう一度植え直し、今度は風に吹かれる仕組を提案する事にしました。青年は街を救う為思いついた、この、そよ風の様な問題解決の方法に、今までの生活ではとても味わえなかった高揚感に満たされていました。
「今更そんな事を言われても………」
と、人々は考えるかも知れません。でもこの倒れかけている巨木を見てもらい、忍耐を持って説得すれば、皆、きっとそれを理解し、賛成し、協力してくれるに違いありません。それにしか問題解決の方法が他には無いのですから……。
 青年は「風の吹く街」を造る提案を実行する為、今までになく目を輝かせ、市長のところへ足を踏み出しました。それが風の吹く街として、この街が、本当の命を取り戻すのに必要な第一歩だったからです。

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