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Stones alive complex (White Labradorite)

いつにも増して、退屈な講義だった。

教壇で張りきってる涅槃河原教授は、液晶黒板を叩き割る勢いで筆圧感知チョークを走らせているが、
『A10神経群への般若波羅蜜多有機回路構築段階的手順解説』
は、1080ステップもあって。
今回はその58ステップ目の講義なのだが、ほとんどの受講生たちはすでに6~12ステップ目あたりの回で脱落しており。
黒板の文字が自動で写し取られてゆく同期ノートを虚ろに眺めたり、髪の毛を抜いてゲノム解析アプリでシマウマと自分の遺伝子を掛け合わせたほとんどパンダなケンタウロスを作ったり、少数だが教授の講義についていけてる最前列に陣取った秀才学生の同期ノートを遠隔ハックして麒麟が繁殖行為してるイタズラ書きをして足を引っ張ったりなどして遊んでいる。

最後列の席にいる私は。
般若波羅蜜多を机上でちんたら学ぶよりもいきなりの実践こそを良しとする信条なわけで、硬い木の折りたたみ椅子の背に全身をゆだね半眼となり心を休め意識を空にしていた。
この状態は、西洋医学系の専門用語では「居眠り」と呼ばれているらしい。

ひとコマ三時間の講義の、半分ほどが過ぎた頃だっただろうか。
ふと、般若波羅蜜多の境地から心が戻された。
西洋医学の専門用語では「寝起き」と呼ばれている状態であるらしい。たるんだ眼球を、痛痒くこする。

涅槃河原教授は、さらにノリノリでチョークを黒板へカツッンカッツン打ちつけているが、その横には奇妙なものがいた。

ひとりの青い服を着た少女が、教授のふくらはぎを蹴っているのである。
教授は、その少女にも少女のくり出す足首のひねりが効いた鋭いローキックにもまったく気がついてないようで、黒板に表示されてる脳の断面図へ有機プローブを集中して突っ込むポイントを熱心に書き込んでいる。

「・・・あれは誰なのでしょう?
教授の娘が乱入してきてるのかな?」

こそこそと、隣の卒塔婆先輩へ耳打ちをした。
先輩は、こちらの耳たぶを噛むほどに唇を寄せ、ささやいてきた。

「とうとうお前さんにも・・・
あれが見えるようになっちまったんだな・・・」

「なんなんですか、思わせぶりな言い回しで・・・」

「ふふふ。
無理を通せば道理は引っ込むが、
無理を開けば道理も道を開けてくれるもんさね」

その言葉は有難い高僧の法話にも聞こえるし、
留年17回目の典型的な劣等生の戯れ言にも聞こえる。
卒塔婆先輩は、作務衣にかけたポシェットから電子葉巻をつまみ、老練な唇にくわえ吸った。煙の代わりに-先からか細い悲鳴が鳴る。

「ふーっ・・・
この教室いる者は内心、最前列の賢さだけが取り柄のやつらは除いてだが、あの少女の所作に共感しておらん学生はひとりもおるまいよ。
わしが初めて見た時、あの子はまだ教壇の周りをハイハイしておった」

「あれは・・・
我々劣等生の想念が混成接続し生み出してしまった、奇異な存在だということですか?」

「蜜多した想いが、般若で波羅波羅な難解なる講義とのシンクロにより。
色慾で食う、光速儀式したのじゃよ」

色即是空空即是色より何を言ってるのか意味分からない。
しかし、そこまで深い理解を会得しているのならば、何年もむざむざと留年するはずがないので、その言葉がもたらす不信感の分だけ先輩から体を離す。
その離れた距離を、先輩はすかさず縮めてくる。

「よくよくと気をつけろよ。
蜜多した集団心理は、独立した意識体を生み出す。
それが見えるようになったら、それには巻き込まれないことだ。
身体とカラダとの距離をとらせてもらうのは当然として。
心とココロの距離もとらせていただくのだ。
言うならばそれは、ソウルディスタンスだ。
その結界形成を可能にするのは、これしかない」

先輩は電子葉巻を深く吸い込んだ。
そのウロコ模様の葉巻は有機体らしく、小枝のような手足と尻尾をばたばたさせた。

学費さえ払ってれば、留年回数は制限無しのこのニルパーナ大学のシステムは、そろそろ考え直した方がいい。
古参の学生はみんな奇異な領域と電波交信をしはじめ、仙人または妖怪じみてくる。

先輩から身体を逃がしたい方向には、女子学生の並びがあって、彼女らは前頭葉どおしをダイレクトに有線で繋ぎあう内緒の井戸端会議に夢中だった。
こっちと膝が当たって驚いた留年39回目の同級生女子がハッとした後に、ニコッと笑ってきた。

彼女は膝に乗せてるくたっとした麻編みのバッグから何かを取り出し、こっちへ差し出した。

「飴ちゃんなめる?」

その飴は。
甲羅から迷惑そうに小指ほどの首を出した。

(おわり)

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