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とある友人の話

通信障害

その友人との出会いは、はっきりと覚えていない。
いつからか、そばにいることが当たり前になっていた。

友人は少しばかり裕福な家庭で母と父。それと歳の近い妹の4人で暮らしていた。
けれど友人から、家族の話はあまり聞いたことがない。
性格はというと、少し気まぐれというかだらしないところがあり私がしっかりしなきゃと思っていた。それでもなぜだか、責める気は起きないのだから不思議だ。
仕方ないという諦めよりも、そんな性格でも友人が私の傍に居てくれることが嬉しかった。

友人は好きなものに熱中しやすいタイプなようで、よく話を聞かせてくれる。どこに行ってきた、何をしてきた、誰々に会ってきた。
あまりにも楽しそうに話すので、相当好きなんだなという気持ちがこちらまで伝わってくる。けれど、同じものを好きになることはない。
自分と友人。それぞれの時間を過ごし、話をして共有する。
それだけだった。時間を共にするのは、長居のできる喫茶店だけ。

それ以外の友人の顔を知ることはないまま、時間だけが無常に過ぎていった。

ある日。友人の母親が亡くなったと連絡が来た。
友人とその母親はよく喧嘩をしていて、あまり仲が良くないイメージだったがいなくなってしまうとそれすらもできなくなる。
記憶のなかの友人は、笑顔でいることが多かった。
それでも今はきっと悲しかったり寂しい感情が押し寄せているだろうと想像した。

葬式当日。
私は初めて、友人の知らない顔を見た。
涙もろいところはあるのは知っていたが、それとはまた違う。
母親のことを嫌いだなんだと言っていたのにも関わらず、前触れもなく嗚咽し、ひたすらにハンカチを濡らしていた。友人自身もまさか泣くとは思っていなかっただろう。
いたずらにも、母親とのお別れが近づいていく。
最前列で黒い喪服に包まれた友人は、1人の『子ども』として立っていた。

——友人は今も、気ままに生きている。
私と同じ気持ちを抱えていたことを後から知った。
友人が母親という顔を持ってもなお、亡くなった母親から「愛されたい」と思っていたらしい。
どれだけ「愛されたい」と思っても、不器用な母親はきっと子どもの愛し方がわからなかったのだろう。
「不器用」とは、なんて便利な言葉なんだ。
子どもは親を無条件で愛しているのに、親は子どもを無条件では愛そうとしない。きっと親になりきれず、子どものまま大人になってしまって人たち。
わずかなすれ違いで、気に病んでしまえば行き着く先は『愛着障害』
大人になってもなお、尾を引きずっている。

これは、私と私の母親の話。戸籍だけの関係で言うならば。
「私と私以外」で考えたら母親だって赤の他人だ。
ただ偶然にも一緒の家で過ごしていた人の集まり。
家族という生温くて陳腐な言葉で縛られるつもりはない。

最後に。
去年の誕生日に私は『お母さん』に向けて手紙を書いた。
それでも「ありがとう」の一言すら、もらえなかった。本当に彼女らしい。
私の母親としてではなく。1人の人間として彼女に幸せになってほしいと願う。

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