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マンガノート⑦ 『浦沢直樹の漫勉neo』 坂本眞一『イノサン 』

『浦沢直樹の漫勉neo』第8回。
坂本眞一を取り上げるとは、NHK、なかなか攻めてますなあ。

坂本眞一 の代表作は、何と言っても『イノサン』ですね。        画力は非常に高くて耽美的かつ細密な画を得意としており、画の美しさという点では、多分日本でもトップクラスの一人でしょう。         

猟奇的なシーンやスプラッター・シーンがやたらに多い画の感じは、何となく丸尾末広に一脈通じるものがあると個人的には思っています。丸尾の方は、あくまで純和風趣味ですが。

前作の『孤高の人』に比べると、この作品から画の質がガラリと変わったような印象がありましたが、『漫勉neo』でその秘密が明かされていました。『イノサン』からデジタルで作画するようになったのですね。手書きにはないデジタル作画の色々なメリットも紹介されていて、なるほどと思いました。

『イノサン』の主人公は日本ではほとんど知られていませんが、フランス革命期に活躍した実在の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソン。
サンソン家は代々世襲の死刑執行人の家柄で、日本で言えば「首切り浅右衛門」で知られる幕府の首切り役人山田家のような存在でしょうか。                                                                                                        
シャルル=アンリは、 ルイ16世、マリー・アントワネット、 デムーラン、ダントン、ロベスピェールなどフランス革命期の大物の処刑を執行しています。

フランス革命初期は ルイ16世、マリー・アントワネット 、ラヴォアジエ(の法則)などの王侯貴族やジロンド派を中心とする反革命派を、中期は革命派内でジャコバン派の独裁的恐怖政治に反対したデムーラン、ダントン等を、後期は 、テルミドールのクーデターで失脚したロベスピェール、サン=ジュストなどのジャコバン派首脳をギロチンにかけています。

『ベルサイユのばら』では捨象されていましたが、輝かしいフランス革命の裏では、旧支配層や反革命派、革命派内の反対派等に対する血なまぐさい粛清の嵐が吹き荒れていたのは事実で、一説ではナポレオンが登場するまでの10年間に約200万人が殺されたという統計もあります。
その内、 ロベスピェールの命令で処刑されたのが約4万人、その内サンソンが担当したのは3000人程だそうですが、これだけでもすごい数です。勿論、まともな裁判なしの一方的な処刑です。

この間、いくらその時々の権力者の命に従っただけとは言え、王侯貴族から反革命派、最後は革命派に至るまで満遍なく処刑しているのに恨みを買ったり失脚したりせず、革命終焉後までしぶとく生き抜いたのは異例で、そこには、巧みな政界遊泳術と医術者としての卓越した才能があったからなのでしょう。

処刑人としての収入より医術者としての収入のほうがずっと多く、民衆からは「ムッシュー・ド・パリ」と呼ばれていたそうです。

さて、『イノサン』の評価ですが、 画力は第一級で描画ソフトによる一コマ一コマへの書き込みが凄まじく、華麗な細密画のようです。
しかし、その調子で八つ裂き刑をはじめとする数々の処刑や拷問、処刑技術向上のための解剖(医術者兼業ですしね)等を超リアルな筆致で微に入り細に入り描いていくので、陰惨かつグロいこと夥しい。

グロテスクなスプラッター・シーンを美しく描くことに執念を燃やしているのかという気さえします。

また、耽美的なイメージ画が多いのも特徴で、一幅の絵画としての完成度は高いものの、ストーリーとはあまり関係がないので出てくる度に興が削がれるのが難です。

『イノサン』正編の少年時代は、 死刑執行人の家に生まれ、死刑制度を嫌悪しているのに、自らの手で人を殺さねばならないことを運命づけられた苦悩や葛藤が描かれます。厳格な父に命じられ、心ならずも処刑を執行してしまった後の悲哀や罪悪感と闘いながら成長していくシャルル=アンリの姿は、猟奇的なグロテスク趣味を除けばそれなりに読みごたえがあります。

続編の『イノサン ルージュ』の実質的主人公は、成長してベルサイユの処刑人となった異母妹マリー=ジョセフ。

正編では、シャルル=アンリの内心の苦悩や葛藤がひとつの読みどころでしたが、続編の主人公マリーは死刑制度廃止論者のシャルルとは正反対の処刑大好き人間で、血に飢えたサイコパス。 猟奇的で衝動的な彼女が女性差別に反対したり、民衆の側に立って「自由、平等!」といくら叫んでもやっていることがアブノーマル過ぎて、さっぱり心に響いてこないのが難です。

また、シャルル=アンリも若い頃の理想や純粋さはとっくにどこかに置き忘れて来たらしく、家の存続に腐心するだけの俗物になり果てています。「いつか死刑のない世の中を作る」という正編の主題は、どこに行ってしまったのでしょうか。

『イノサン ルージュ』最終巻はマリー・アントワネットの処刑で終わっていますが、正編ともども、フランス革命の「歴史もの」を期待して読むと肩透かしを食らいます。史実よりもシャルル周辺の個人的な創作話が多く、歴史的史実の描写も飛び飛びで薄いのです。 

残念ながら美麗な画が歴史上のストーリーとうまく結合せず、空中で空回り状態。

イノサン0027

作者があまりにも画に耽溺しすぎて、物語が画に負けて追いつかない。
要するに、激動の歴史をうまく料理できずに主題の掘り下げに行き詰まり、それを画の美しさでごまかし、逃げているように見えてしまうのです。           
まあ、これは物語作者としての力量の問題ですね。

物語と画はマンガの両輪ですが、『イノサン』は両者が非常にアンバランスで画と物語がうまくかみ合っていません。画はあくまでも主題を表現するための手段なのですから、画がいくらうまくても主題や物語の質が伴わなければ、傑作とはなり得ないのです。

と、ここまで書いてきて、あれれ、マンガ評としては珍しくボロクソに書いてしまったかも?
でも、華麗な画が好みで、耽美的・猟奇的かつ「美しい」エログロ・スプラッターシーンが大好きという方には合っている作品かもしれません。


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