仮説状態で動く
こんにちは、たかひとです。
以前見た記事で、欧米人は決めきらないで動くことが結構ある。
仮説状態でそれなりに動ける、とありました。
対して日本人は、仮説状態で動くのが苦手で、決定状態でしか動けない、とのこと。
鍵を握っているのは初動の速さで、とりあえず当たりをつけて動いていく。
ここまで書いてきて、漫画「ザ・ファブル」の
「経験は思考から生まれ、思考は行動から生まれる」
の言葉を思い出しました。
それではなぜ、自分のいるところから動けないのか?
正解を求め過ぎるから、確信を求め過ぎるから、とのこと。
間違えると親から怒られたり、がっかりされた経験から体が動かなくなってしまっている人もいるだろう、とありました。
私はこれにモロ当てはまっていました。
吃音自体はもちろん、そこから派生する自信のない行動に対して。
でも、時が経って気づいたことは・・・
そもそも「正解」というものはないのではないか。
あるのは、後から振り返って自分がつけた「意味」にすぎないと。
以前「実験場を持つこと」という記事を書いたのですが、
間違えても解雇されたりしない安全な場所で、どんどん間違えていくべきでしょう。
走りながら考える。
仮説状態で即断即決し、素早く修正しながら前に進むという姿勢を貫きたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?