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「ら」抜き言葉に対する私のスタンス

「ら」抜き言葉の是非については、色々な意見があると思う。

私の場合、自分で文章を書く際に「ら」抜き言葉を使うとしっくり来ないので、そういう時にはこの言葉は使用しない。
だからと言って、私は「ら」抜き言葉を否定するわけではない。
実際、誰かと会話するときなどに、「ら」を抜いて使用することなどは、往々にしてある。

私は、言葉はその時代の熱を反映するなまものだ、と思っている。
言葉はその時代の人類の営みを反映して、新陳代謝を繰り返しているのだ。
そして、代謝が上手く行えず、ある時代に適応するための温度感が保てなくなったとき、それは「死語」となる。
「ら」抜き言葉は、この新陳代謝の一環だと私は考える。
今までに言葉の用法にまったく変化が生じていなかったとするなら、勉強などしなくても、1000年も前に書かれた『源氏物語』の原文がスラスラ読めるはずだと思う。

また、「ら」抜き言葉以外にも、その語源を辿ってみると、実はもともと長かった言葉を省略したものだったりすることも、結構あるだろう。
「ら」を抜くというのも、それに近いのではないか。

そんなわけで、「ら」抜き言葉を使用することに、めくじらを立てすぎなくてもいいのではないか、と私は思っている。
個人の好みで使い分ければいいのではないだろうか。

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