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「0+0=1」

僕は色んな意味で「何者でもない」人間。
周りからは「頭がいい」や「しっかりしてる」と言われてきたが、そう思った事は一度もない。
でも1つだけ思っていた事がある。


「何にも染まらない」自分でいたい。


ここに自分の今までの価値観や、人生を記そうと思う。
今回これを書くきっかけになったのは、自分がどんな人生を歩んできたのかを記す為です。

人生は0から始まる。
「0に0を足しても0である」とは私は思わない。
私の人生観は「0+0=1」である。
人は何故何かを残せるのか、それは0を1にする力があるからだと思う。
そう思うようになった、人生をここに綴ろう。

まだ何も成し遂げてないけれど、何を成し遂げようとしている。この心だけは昔からあった。今の自分を形成する過去の自分をここに記して、少しでも自分を残せたらと思う。

1.幼少期〜小学生

私は1993年、岡山の倉敷で生を受けた。
母が岡山出身という事もあって、里帰り出産だったらしい。
本名は「宇野 光雅(みつまさ)」
群衆の中で輝きを放つようにと言う意味で「光雅」と名付けられたらしい。
実は小学校の高学年ぐらいまで、自分の名前にあまり好感が持てなかったのは、今になって言える話である。
戦国武将みたいな名前とイジられていたのが嫌だったのだろう。
そんな記憶がある。

2歳頃になると、奈良県の西大寺で暮らすようになった。
その頃は父の両親と暮らす予定だったらしいが、丁度奈良に帰る頃にお爺さんが亡くってしまって、家族3人で暮らすことになった。

幼少期の頃の私は身体が弱く、鼠径ヘルニアで2度手術を受けていた。
高校生ぐらいまで鼠径部に傷が残っていたので、あの頃がどれだけ大変だったのかがよく分かる。
そんな事もあってか、私は3歳ぐらいまでは過保護に育てられてたらしい。
当時の写真を見ても、可愛い写真がよく残っていた。

幼稚園に上がる頃、人生で1つ目の大きな転機を迎えることになる。
「極真空手」を習い始めたのだ。

当時の自分は、幼稚園で虐められていたらしく、あまり身体も大きくなく、よく弱音を吐いていたらしい。
そんな私を強くする為か、私から言ったのかは覚えていないが、極真空手をし始めたのだ。
これが私の人生にとって大きな変化をもたらすのである。

自分が道着を着て空手をしてる瞬間は、今でも頭の中に鮮明ある。
とても強い道場だったので、いつもボコボコにされていた。
でも何故かいつも心が矛盾してたのである。
「辞めたいけど辞めたくない。強くありたい、何かを残したい。」
これが人生最初の、自分が自分に対する反抗だっんだと思う。

周りからは、よく心配された。
身体はアザだらけ、爪は剥がれる、目は充血する。
「そんな危ない空手なんて辞めてたらええねん」
と友達やその親からよく言われていた。

でも父だけは違った。
「お前逃げんのか?」「やる気あんのか?あ?」
とよく脅された。

確かに、痛いし辛いし身体はボロボロだし、友達とも遊べないし、正直何も楽しくない。
でも、父から言われた言葉に自分も少し納得していた。
「ここで辞めたら、自分の中で大切な何かが折れる気がする」
と察知していたのかも知れない。
父があれだけ厳しく言ってくれたのも、今になったら少し分かる。

「男だったら逃げずに立ち向かってみろ」
「逃げるような辞め方をするな」
と言いたかったのだろう。
小さい頃から優しく育てられたから余計周りに甘えていた。
弱い私を少しでもいいから、強くしたかった。
そんな想いが父から伝わってきてた。
なので私は父に1回でもギャフンと言わせたかった。

それて小学校最後の年、私は退路を絶った。
「全国大会に出て表彰されます」
この1回で成績を残さなければ、私は何も望みません。
やりたい事を全て辞めます。
と言い放ったのを覚えている。

どうせやるなら、自分で退路を絶った方がマシだ。
と本能で思ったのかもしれない。
そしてその夏、私は空手を辞めた。
全国大会表彰という形を残して。

続く。

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