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いま、感じている怖さと優しさ

最後に、自由に、後ろめたくなく往来していたのはいつだろう。思いっきり息を吸ってはいて、喉がいがらっぽくなったら、えへんって自由にできたのはいつだろう。

この一カ月ぐらい、
いやな気分がまとわりついていた。

ステイホーム
世界中の合言葉だった。

この国は、特に強権が発動するわけでもなく、多くの人が自主的にステイホームをしていたようだ。僕は無視した。
無視したといっても、例えば、巷で言われるような港でごみを散らかしたり、そういうことはしなかったけど。

間違っていたかもしれないし、後付けかもしれないけど、4月の中旬くらいから、このCOVID-19にまつわる騒動はそんなに恐れるものではないと感じていた。どんなに公開されている公式のデータに基づいてそれを言ったところで、ほとんどの人たちは聞いてくれなかった。

「わからないから」「怖いから」

その気持ちもわかる。
だけど、
人に合わないようにする。
そうしている人の行動を監視する風潮はとても恐ろしいと思った。もっと恐ろしいと思っているのは、規制もないのに、自粛している国民を素晴らしいという考えだった。

人類は、長い歴史をかけて、多くの人が、考えて発言して行動することを勝ち取ってきた。
それらが、なにか、得体のしれない恐怖の中で、封じ込められている気がした。考えることもせずに。

悲しかった。会いたい人に会えないこと。とても悲しいし。
こんなにも考えない人たちがいると思えることが悲しかった。

そんな中で、最近、誹謗中傷で自らの命を絶ったとおもわれる有名人がいた。これを受けてこの国は、発言に規制をかけるという。

だまっててコントロールされる人々、規制が強化されること。
すごくすごく怖いことじゃないか?

ある人が昔、講演で「可能性は命だ。可能性をつぶすことは命の目を摘み取ること。」といっていた気がする。(言葉には自信がないけど)
であれば、もう、集団で可能性を放棄しているようなこの風潮がとても怖い。命の問題。

そんな風にかんがえている僕の考えを、やさしくだまって聞いてくれる人がいる。否定せず。人が自由に発言するときに、聞いてくれる人の存在。
時に人を勇気づける。優しさは強さだ。強さというのは、自分自身が強いのではなく弱い人たちを勇気づけること。

僕は、怖い。この風潮がとても怖い。なにも言わないで整然と過ごすこと、なのに危ういものをルールで閉じ込めようとすること、人権を叫んできた政治家たちがこの恐怖に触れない事。

全体主義ってこんな感じで忍び寄るんじゃないだろうか?

優しい人たちが消えてなくならないように強く強く願う。祈る。


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