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好きだった自分を取り戻す旅路(仮)はじまり

どうも、絶賛人生の迷子をしております。ことこです。

私は、HSP(感覚が鋭い、敏感な人)という気質を持ち、ADHDグレーゾーンを彷徨い、自分のやりたいこと・できること・会社勤めではない方法で生計を立てたいと考えているアラサー女です。
よければプロフィールをさらっと見ていただけると幸いです。

今回、私は「私の過去」を客観的に言語化してみようと思い、筆をとりました(キーボードだけど)
お知り合いの方が先に投稿されていて、読むのが楽しかったのと書いてみることで潜在的だけど知っておいた方がいいパーソナリティに気づけるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

私が過去を書き留めるにあたり、書きたい事本意で書いていきます。私や私以外のプライバシーや言いたくないことに関しては記載しないつもりです。
なので、「赤裸々」とは言えないかもしれませんが、ご理解の上読んで頂けると嬉しいです。




【保育園・幼稚園の頃】

両親共働きでしたが、近くに住む祖母が面倒を見てくれており、すぐに保育園に入る必要がなったため、3歳くらいから保育園に入っていました。
幼稚園まで祖母とずっと過ごすよりも、早いうちに同年代の子どもと遊べるようにという思いからだそうです。
この時期に同じ地区の子ども達と知り合えたことが、今後に大きく関わる経験になりました。

保育園に入って半年後、親の転勤で関東に引っ越すことになりました。
年度途中での引っ越しだったので、次の春まで待って関東の幼稚園に入園しました。

そんなこんなで環境が変わりつつも、新しい友達は保育園でも幼稚園でもちゃんとでき、外でよく遊ぶ活発な子どもでした。
よく踊りだしたり歌いだしたり、自分で怪我をすることが多かったです笑
滑り台から前のめりに転げ落ちて鼻の下を擦りむいたことをよく覚えています(その頃の写真には鼻と口の間にかさぶたがあって衝撃的ですよ😏)


見かけは外遊びが好きな子で、神経質とはかけ離れていたかもしれませんが、この頃には嗅覚や触覚へのこだわり?好き嫌い?を自覚していましたし、ちょっとしたトラウマを抱えた時期でもあります。2点綴ります。

⒈油粘土をご存じですか?私が使っていたのは緑色の粘土でした。とってもとってもとっても苦手なものです。
触り心地と匂いで気持ちが悪くなってしまうので、粘土遊びだけはできませんでした。油粘土を使った授業は小学校でもありましたが、嗚咽と不快感と戦う時間だったので嫌いな授業第1位でした。

⒉友達から揶揄われがちで、大体のことは気にしていませんでしたしやり返していたのですが、
妹の出産のために母と一緒に帰省することになり、1ヶ月くらいだけ地元の幼稚園に通っていた時のこと。
ちょっかいをかけてきていた男の子に耳をかじられました。
驚きと痛みの衝撃が強く、今でも忘れられません。
先生方がしっかり男の子に話して、謝ってもらいましたが、ここから私の男性恐怖症の種が植え付けられたような気がします。



今回はここまでにします。
こうやって思い出してみると、結構この頃から引き継いでいる考えや好き嫌いがあるなと気づきました。

次回は小学生・中学生の頃になると思います。
昔話ってダラダラ綴りそうになりますね💦
あまり長くなるのもなぁと考えつつ、今の自分の起源を探るのに必要な部分は入れられるように頑張ります。

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