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2024/7/8 37度のとろけそうな日

深呼吸すると、肺がぬるい空気で満たされた。息するだけで体の内側に熱を取り込んでしまうとは恐ろしい。

出がけにアレクサに気温を尋ねたら、溌剌とした声で「37度です!」と言っていた。あいつは普段、天気予報を聞いても買い物リストの中身を聞いても「ちょっとよくわかりません」なんて小学生みたいな言い訳をするか嘘をつくか無視をするかのくせに、こんな時ばかりやけに正確な情報をよこす。気温の高さはアレクサのせいではないが、心の中で八つ当たりをする。

いつもお中元は麓の洋菓子店から送る。ぼんやりしていたら7月2週目だ。仕事に余裕のある今日のうちに手配してしまおうと坂を下りた。

日傘を差す人、アームカバーとサンバイザーで武装して電動自転車に乗る人、限りなく薄着の人、小さな扇風機を掲げながら歩く人とすれ違う。建設現場の作業員たちは、みんなファンの仕込まれたベストを着ていて、地上でスカイダイビングをしてるみたいだ。あのまま飛べたら楽しそうだけど、上空はもしかしたらもっと暑いんだろうか。

歯医者の駐車スペースに庇の影が落ちていて、ちょうどその影の範囲内に、いろんな色の地域猫たちが点々と落ちている。近寄って、横っ腹を順繰りに撫でると、みんな熱を持っていて柔らかかった。生き延びておくれよ、とつぶやきながら耳の後ろの毛をさすった。

洋菓子店は休みだった。嘘でしょ、と声が出た。

火曜定休のはずだ。今日は月曜じゃないか。店頭にぽつんとぶら下げられたカレンダーを見ると、いつの間にか2週に1度、月曜日も休むようになったらしい。

ここで膝をつくわけにはいかない。ここまできたのだから何か収穫を。ここまできた甲斐を何か。考えた末に、薬局でゴミ袋と、スーパーでささみとねぎを買った。ゴミ袋は必要だったが、ささみとねぎは特に必要じゃなかった。なぜ選んだのかはよくわからない。いつか使わなければ。

まだ少し悔しかったので、ぐるっと回って別の喫茶店に寄った。テイクアウトでお菓子を買う。プラムのタルトだ。家に帰ったら食べてやるんだ。

反対側の坂は地獄。標高は同じなのに、曲がり角がなくて果てしなくまっすぐなのだ。コンクリートとガラスでできた教会の斜向かいのギター教室を横目でいつも覗く。男性が抱き抱えるようにしてクラシックギターを弾いている。いつか習ってみたいと密かに目論んでいる。

建ったばかりの真新しい一軒家群を数えながら歩く。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10軒。2軒目と4軒目はまだ無人。

公園に差し掛かったところで本気で死にそうになる。日陰でちょっと休憩。掲示板に盆踊りのお知らせが出ている。再来週の土日だ。兄弟は浴衣を着たいかな。

最後の地獄の頂上をのぼりきって、家に入ると床に転がった。猫たちがわらわら寄ってくるが声も出ない。一体私は今日、何をしに外へ出たんだ。まだ悔しさが燻っている。この穴はさっき買ったおやつで埋めなければならない。

汗が引くのを待って、いくつかメールを返したらもう仕事をするのはやめた。ええいやめだやめだ!と少し大きな声を出してから、決意してパソコンを閉じた。モニタもなんもかんも片付ける。

珈琲を温めている間はまだちょっと「ちきしょう」が頭の上の方にふわふわしていたが、椅子にちゃんと座って、プラムのタルトを食べ切る頃には悔しさは消えてなくなっていた。

本やなにかしらのコンテンツに変わって私の脳が潤います。