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家庭用ゲーム機の歴史を駆け足で振り返ってみる(後編)

前回は、日本で最初に家庭用ゲーム機が誕生してから、ファミコンが登場するまでを振り返ってみました。

家庭用ゲーム機の歴史を駆け足で振り返ってみる(前編)

家庭用ゲーム機の歴史は、その名のとおりエポック社が切り開きました。

ファミコン以前は、カセットビジョン、スーパーカセットビジョンが、人気を博していたのですが、その後、革命的なゲーム機としてファミコンが登場し、家庭用ゲーム機の歴史が動き出しました。

今回は、ファミコン登場以降から現在までを振り返ってみたいと思います。

ファミコン登場で変わった潮目

それまで、任天堂vsエポック社の2強対決が続いていましたが、そこに終止符を打ったのがファミコンでした。

エポック社は、任天堂とのハードウェア対決に敗れてしまいましたが、のちにファミコンのサードパーティとして参加することになります。

アーケードゲームやパソコンゲームからの移植がメインだったソフトも徐々にオリジナル作品が増えていくと、「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」などのキラーコンテンツが発表され、もはやファミコンの地位は盤石なものとなっていきました。

それによって、これまでゲーム開発をしなかった玩具メーカーや他業種からの参入も増え、「平家にあらずば、人にあらず」のような栄華を極めていきます。

打倒ファミコンに燃えたセガ・エンタープライゼス(現セガ)

ファミコンと同時期に、ひとり気を吐いたのは、アーケードゲームで実績を持つ「セガ・エンタープライゼス」(現セガ)でした。

セガ・エンタープライゼスの人気アーケードゲーム
セガは、1980年代中期〜後期に、ゲームセンターで大ヒットしたタイトルをいくつも持っていました。

たくさんあるタイトルの中でも、特に超有名なものを4つご紹介致します。

 ・ハングオン(1985年7月)
 ・スペースハリアー(1985年12月)
 ・ファンタジーゾーン(1986年3月)
 ・アフターバーナー(1987年7月)

ファミコンの任天堂は、名前のとおりファミリー向けのコンテンツが多く、一方セガは、職人気質のようなマニアックなファン層に受け入れられていました。

「セガmkⅢ(1985年10月20日発売)」は、15,000円で、70万台を売り上げ、続く「マスターシステム(1987年10月18日発売)」は、16,800円で、40万台を売り上げました。

ファミコンには、遠く及ばないものの一定の成果を挙げ、その後もハード開発に力を注いでいくことになります。

16ビット時代に突入!!

家庭用ゲーム機は、これまで8ビットマシンが主流でした。

8ビットとは、256種類の処理を同時に行えるというコンピュータの性能を表しています。

8ビットが16ビットに変わるというと、性能が2倍になったように見えますが、16ビットになると、65,536種類の処理を同時に行えるということになるので、実質256倍の性能アップということになります。

16ビット家庭用ゲーム機の先陣を切ったのは、NECホームエレクトロニクスとハドソンが共同で開発した、「PCエンジン」でした。

ファミコンでは表現できなかった、美麗グラフィック、重厚なサウンド、周辺機器としてCD-ROMの採用で、新時代への扉を開きました。

それに続くように、セガ・エンタープライゼスからは、「メガドライブ」、さらに遅れて任天堂から、「スーパーファミコン」が発表され、16ビット時代は、この3社の戦いとなりました。

しかし、結果としては任天堂の牙城を崩すには至らず、

 ・スーパーファミコン(1990年11月21日発売 25,000円) 1,717万台
 ・PCエンジン(1987年10月30日発売 24,800円) 750万台
 ・メガドライブ(1988年10月29日発売 21,000円) 358万台

と、日本国内では大差をつけられる形となってしまいましたが、メガドライブは、アメリカで2,000万台、世界で3,075万台を売り上げ、スーパーファミコンと肩を並べていました。

最後発となって登場したのが、SNKがアーケードゲームとの互換性を掲げ、「100メガショック」というキャッチコピーで度肝を抜いた、「ネオジオ」でした。

 ・ネオジオ(1991年7月1日発売 58,000円) 100万台

本体価格が、他のハードと比べて格段に高額で、カセットも巨大なサイズ、ゲーム1本当たり3万円以上するというものであったため、一部の熱狂的なユーザーに支持されるも販売台数は100万台にとどまり、コピー(海賊版)問題により終焉を迎えることになります。

PlayStationの登場で、ゲーム業界に地殻変動

その時は、1994年12月3日。

SCE(ソニー・コンピュータ・エンターテインメント)が、32ビット家庭用ゲーム機「PlayStation」を発表しました。

それまではロムカセットが主流だったゲームソフトをCD-ROMで提供する形式を取りました。

これにより、ソフトウェアの容量が飛躍的に増え、圧倒的な表現力を獲得していきました。

他社からも32ビットマシンは発表されていましたが、任天堂は32ビットを出せずにいたこともあり、これまで1強だった任天堂の牙城を初めて崩したハードウェアになりました。

 ・PlayStation(1994年12月3日発売 39,800円) 1,900万台
 ・セガサターン(1994年11月22日発売 44,800円) 580万台
 ・3DO(1994年3月20日発売 79,800円→54,800円) 80万台
 ・PC-FX(1994年12月23日発売 49,800円) 11万1,000台

ハード業界の覇権が、PlayStationに移ったことによって、ドラクエ、ファイナルファンタジーなど、ビッグタイトルもそちらに流れていくことになり、PSの牙城は次第に強固になっていきました。

ハード性能向上と、黒船来航!

この頃パソコン市場では、Windows95が衝撃を持って受け入れらていた時代。

その頃から家庭用ゲーム機は、64ビットというパソコンを凌駕する性能を持ち始めていました。

満を持して任天堂が64ビットマシン「NINTENDO64」を発表。

しかし、その時すでに、ドラクエやファイナルファンタジーなどの大看板はPSに戦場を移していたため、王者任天堂は苦戦を強いられていきます。

また、ハードウェアの性能が向上していくにつれて、ソフトウェアの開発に負担がかかっていくようになります。

そんな中、家庭用ゲーム機の業界に黒船が来航します。

マイクロソフト社による、「Xbox」の発表です。

これにより、次世代ハードウェアの派遣争いは、混迷を極めることになっていきます。

 ・NINTENDO64(1996年6月23日発売 25,000円) 554万台
 ・ゲームキューブ(2001年9月14日発売 25,000円) 404万台
 ・PlayStation2(2000年3月4日発売 39,800円) 2,198万台
 ・ドリームキャスト(1998年11月27日発売 29,800円) 280万台
 ・Xbox(2002年2月22日発売 34,800円) 53万台

この時点でプレステ2が圧倒的に販売台数を伸ばしたのは、初代プレステのソフトが遊べる下位互換があったこと、DVDプレイヤーとして本体価格が破格であったことに起因します。

セガは、ドリームキャストに社運を賭けたのですが、売れば売るほど赤字になるという販売戦略の手痛いミスによって、これ以降ハードウェア開発から手を引くことになります。

マイクロソフト社のXboxは、日本では振るいませんでしたが、世界的に見ると2,400万台を売り上げており、PS2の1億5700万台には遠く及ばないものの、初参入としては検討したと言えるでしょう。

ハードウェア三国志

セガがハードウェアから撤退したことにより、業界は三国志の時代へと突入していきます。

 ・PS2の成功で覇権を手中に収めていた「SCE(現ソニー・インタライクティブエンターテインメント)」
 ・常に業界を牽引してきた古豪「任天堂」
 ・黒船来航で風穴を空ける巨大企業「マイクロソフト」

この3強時代は、その後も続いていくことになります。

SCEは、次世代後継機として「PlayStation3」を投入。
任天堂は、新機軸を打ち出して「Wii」を発表。
そして、マイクロソフトは、後継機として「Xbox360」を注ぎ込んできました。

 ・PlayStation3(2006年11月11日発売 49,980円) 1,027万台
 ・Wii(2006年12月2日発売 25,000円) 1,275万台
 ・Xbox360(2005年12月10日発売 29,800円) 159万台

PS3とWiiは、販売台数で互角の戦いを繰り広げていきますが、日本国内においてXbox360は、2社と比べると苦戦を強いられていました。

世界に目を向けると、

Xbox360は、8,580万台
PS3は、8,741万台
Wiiは、1億163万台

と、3社ほぼ互角の戦いとなっていました。

三国時代からオンライン時代へ

その後の次世代後継機に移っていくも、この3強時代は続いていました。

任天堂は、Wii U
SIE(ソニー・インタラクティブエンターテインメント)は、PS4
マイクロソフトは、Xbox One

をそれぞれ発表していました。

この頃になると、インターネットへの接続は当たり前になっており、ゲームソフトの販売もネットからダウンロードするという方法も確立されていました。

 ・Wii U(2012年12月8日発売 ベーシックセット26,250円) 331万台
 ・PlayStation4(2014年2月22日発売 39,980円) 911万台
 ・Xbox One(2014年9月4日発売 39,980円) 11万台

旧世代の販売台数が、軒並み1,000万台を超える売り上げを記録していたが、この頃になると家庭用ゲーム機そのものが苦戦を強いられるようになっていました。

スマホアプリ、PCオンライン、携帯ゲーム機など、ゲームを取り巻く環境が拡大し、よりゲームが身近なものへと変化していきました。

そんな中、他社に先駆けて任天堂は、「NINTENDO Switch」を発表。

据え置きでも、携帯でも、オンラインでも遊べるハードウェアとして、かつての隆盛を取り戻しています。

任天堂から遅れること3年、2020年末には、SIE、マイクロソフト、それぞれ次世代後継機を発表する予定です!

果たして、この3強時代はどのように進んでいくのでしょうか?

 ・NINTENDO Switch(2017年3月3日発売 29,800円) 1,144万台
 ・PlayStation5(2020年第4四半期発売予定 ???円) ???万台
 ・Xbox Series X(2020年末発売予定 ???円) ???万台

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