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人の振り、自分の振り、他人のふり


私が今の仕事(パート)に就いた当初、右も左もわからない私と一緒になって悩み、問題解決を手伝ってくれた人がいた。隣の席だったので私がつい頼ってしまっていたのだけど、いつも快く応じてくれたKさん、Kさんがいてくれてホントに助かった。

その頃の私は、私の前任者が「困った時には◯◯さんに言えば助けてくれるから」と言っていたその◯◯さんに何故か冷たく突き放され、◯◯さんと接するのがとにかく苦痛だった。◯◯さんのところに行かなくてはいけないときは「よしっ!」と気合いを入れてから向かう、そんな日々だった。

Kさんは◯◯さんのことが苦手ではなかったけれど、◯◯さんの“良くないところ”を理解し上手に付き合っている、そんな感じだった。◯◯さんにああ言われた、こう言われたと私が愚痴ると、「わかる、わかる」と同調してくれておかげで気持ちが晴れることも多かった。◯◯さんは程なくして転勤したので、その後は私の天下だった。


Kさんは私よりひとつ歳上の独身女性で、正義感の強い人だった。時にその正義感が周りから疎まれる要因になり、他の同僚と衝突してしまうことも多かった。私たちよりもっと歳上の、強面で、相手を萎縮させるくらい大きな声を出すような男性にもひるまず、自分の主張を通した。私はKさんが他の人と衝突しているのを見るのが怖くて、いつも心の中で「Kさん、もうそれぐらいにしてやめて」と祈っていた。誰かと衝突した後はKさんの愚痴を私が聞く番だった。


「ねぇ、これって変だと思わん?」

変というかまあ、人それぞれですから‥私は曖昧な返事しか出来なかった。勤め始めたばかりの職場で、それまでのいろいろを知らずに、その一面だけを切り取ってどうよ?と言われても、「そういうもんなんじゃないか」と思うのが精一杯だった。


「皆、私にいじわるをする」

いじわるなのかなぁ?向こうも自分の主張を曲げないだけで、お互い様なんじゃないかなぁ?

私はいつもそう思っていたし、そのうち私は私の考えをKさんに話すようになっていた。私はKさんが心配だった。周りから「難しい人」「うるさい人」と思われて疎まれる。たとえKさんが正しいとしても疎まれている時点でKさんの意見は聞き入れてはもらえないだろう。それが残念だったのだ。と同時に、これは随分後から気づいたことだが、あの頃の私は、私がKさんと仲良くしていることで私まで「難しい人」「うるさい人」だと思われてしまうのではないかと危惧していたのだ。
Kさんが転勤して、ずっと後になって別の同僚から言われたことがある。


「石元さんてKさんと仲良かったからKさんと気が合うんだと思ってた」

と。それはどういうことかというと、周りの人の目には私自身もKさんのような一種のクレイマーのようにうつっていたということで、実際はそうじゃなかったんですね、という意味だったのだ。その時に、あぁ私はそう思われることが嫌だったんだと気付かされたのだった。

そのKさんがこの春の転勤でまた私のいる職場に戻ってきた。10年以上ぶりだった。転勤を知り私はKさんにメールを送ったが“宛先不明”で返ってきた。10年も経てば連絡先も変わるし、正直いうと、もう会う機会もないかもと思っていたところへ転勤の件を知って、あんなにお世話になったのに疎遠になってしまっていたことを申し訳なくも思っていた。
久しぶりに会ったKさんは見た目は変わりなかったが、人としての勢いのようなものが無くなった気がした。自分でも「私も丸くなったから」と言うように、自分から誰かと衝突するようなことは無くなったようだった。

と思っていた。

確かに衝突は減ったけれど、上司に口答えをしているのを見かけたし、他の人の仕事ぶりに不満を抑えきれないようだ。そしてその不満や愚痴を私にぶつけてくる。

「ねぇ、これって変だと思わん?」

変ていうか、そういうもんなんですよ。
今の私なら、そうハッキリ言える。その人も間違っていないし、Kさんだけにいじわるをしているわけではない。受け止め方、受け止められ方なのだ。

「そうか、そうよな。そう思うことにする」

そう言うKさんを可愛いと思った。お腹の中では納得していないだろうけれど、清濁合わせ飲む、それが必要な場面は結構あるのだから。

そんなある日Kさんが、隣の席の人の夏休みが長いことに関して

「隣がいないのは良いねぇ」
「もうこのまま来なくていいのに」
などと言うので、まあまあなどと冗談っぽく返していたら、

「隣がいないからちょうど良い」
と言ってスマホの充電を始めようとした。隣の席との間にコンセントがあり、「今日は使い放題だ」と言う。

「え、え、ダメですよ」と私。
「え?ダメなん?」とKさん。

「ダメです。職場の電気を盗むことになります」
「え、そうなん?ここにコンセントがあるのに?」
「そのためのコンセントじゃないし‥それに、そういうことはやるならコッソリやってください」
「あ、そうよな。」

と言いながら充電を始めるKさん。
10年前のKさんなら、誰かがそんなことをやろうものなら絶対「おかしい、間違ってる」と言う側だったはず。それとも、意外とそういうことには無頓着なのだろうか。

職場で充電をしたり、自分用の小型の扇風機をコンセントにつないでデスクに置いたり、それがダメなことだと思っていない人たちがいる。いや、もしかして間違ってるのは自分のほうなのかと自信を無くして注意出来ない私みたいな人がいる。残念だった。Kさんも私も残念な人だ。

長く生きていると人の話、忠告もアドバイスも、素直に聞けなくなる。長年培ってきた経験で物事の良し悪しを測っている。結局それは自分の勝手なものさしで、自分に都合よく整えられたルールなのに、そのことに気付けない。
そもそも注意そのものをされなくなる。誰かに注意されたり叱られたりされなくなるし、されたらされたで腹を立てるのだもの。周りはさぞ付き合いにくいだろうに。

だから残念だ。

人の振り見ても、我が振りが直せなくなるの。他人事ひとごとじゃないのにね。


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