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名付けの苦労


自分の子どもの名前を考えるのは楽しい、と同時に責任がある。生まれてから一生付き合っていくことになるわけだから自分の名前で苦労はさせたくない。


読みやすさ

私なりのこだわりは例えば読み易さ
誰もが読める名前が良い。読み方が難しいと名前を間違えられたり、いちいち何と読むのか聞かれたりして煩わしい。音読した時のイメージも大事。あ行で始まるか、か行で始まるかだけでもイメージは違ってくる。


書きやすさ

続いて書き易さ
形が取りづらい字というものがある。画数の少ない字は意外と形が取りづらくて上手く書けなかったりするし(私だったら”心”とかは難しい‥)、縦線が強い字もバランスを取るのが難しい(”幸”とか‥)。”へん”と”つくり”で構成されてる字の方が形が取りやすい気がする。漢字自体の画数があまりに多いのも、子どもが小さい頃は書くのが大変だと思ったりして色々と考えた。


画数

最後に画数
まず苗字とのバランス。苗字が画数が少なくて名前が画数が多いとなんとなくバランスが悪い気がする。”字ヅラ”みたいなのも気になるし、縦線が強い苗字なら名前は少し横に広がりがある方がバランスが良いなぁとか考えたりして。姓名判断の画数も気になる。15とか、24とか、32とか、良いとされる画数にできれば合わせたいなと思った。



そうは言っても私の勝手なこだわり条件を全て満たす名前を見つけるのは難しい。ちなみに、女の子なら””の付く名前にしようと決めていて、旦那さんも賛成だった。今の時代”子”の付く名前は圧倒的に少ない。だからこそだ。私にはそういうあまのじゃくなところがある。


長女の場合

(名前を公表できないのが残念ではありますがご了承ください。)私には、女の子が生まれたら付けたい名前があった。昔見たドラマの、ヒロインの名前だ。妊娠してお腹の子どもが女の子だとわかった日から、ずっとその名前で呼びかけていたくらいだ。
ある日、義母が私にその名前はどういう漢字を使うのかを聞いてきた。私が答えると義母は「画数があまり良くないのでは?」と言う。そして兄嫁が使っていたという姓名判断の本を2冊渡された。

実家の両親は名前の画数など気にせず付けたい名前を付ければ良いと言ってくれた。しかし、義母にダメだと言われてもそのまま自分の意見を通すほど私はまだ強くなかった。そこで、同じ読み方の違う漢字を漢字辞典で探した。そして見つけた。画数も悪くない。

ただ、読み易さという点で引っかかる。その字はよく見る字ではあるし、音読みはその読み方しか無いので、読み易いと言えば読み易い。しかし、多分正しくそれを読める人は意外と少ないと思われるような字だった。実は私もそれまでは間違えた読み方をしていた。それでも、私の中ではそれ以上の漢字は無いと思い、それに決めた。旦那さんの両親には最後まで「読みにくい」と言われたが、それに決めた。

名前が決まって役場に届け出に行ってくれたのは義母だ。役場から帰って来て嬉しそうにこう言った。「役場の人が、この字はとても良い字なんですよ。良いお名前を付けられましたね、と褒めてくれた」そうだ。

読みにくい字ではあったが、漢字の持つ意味が良かったおかげで、長女の名前は「とても良い」という評価になった。


次女の場合

2人目の子どもは、生まれるまで性別は聞かないことにした。それでも周りから1人目とはお腹の張り出し方が違うだの言われ、男の子か?と勝手に思っていた。期待もあった。それ故妊娠中は男の子の名前ばかり考え、何なら決めていたくらいだ。ところが生まれたのは女の子。嬉しかったけれど、名前を1から考え直さなければいけなくなり焦った。またも漢字辞典の出番だ。毎日毎日、旦那さんとあれがいい、これがいいと意見を出し合うもなかなか2人の意見が一致しない。役場に届け出る期限ギリギリまで決まらずにいた。


ある夜、義父が旦那さんに言った。「いつになったら名前を決めるのか?」と。旦那さんは、その日2人でとりあえず今日のところはそれに決めといて明日もう1日考えよう、と言っていたその名前を義父に伝えた。まだ決定したわけではないということも伝えた。ところが次の日、義父がその名前で郵便局の通帳を作ってきた。義父は出産祝いを現金ではなく通帳に入れて渡してくれる。その通帳を作ってきた。

それで次女の名前はそれに決まった。私的には付けたい名前だったのでそれはそれで良かった。しかし義父にはこう言われた。

同じ名前の有名人が何人かいるが、どの人もあまりイメージが良くない。それに形が取りづらい字だ。形が取りづらい名前は本人が苦労するぞ。

次女の名前に決まった漢字は、誰でも読めるし、持つ意味も良い。ただ、確かに形が取りづらい。それでも、同じ名前の有名人のおかげで、次女は誰からも「貴方の名前はあの人からとったのか」と聞かれ、すぐに覚えてもらえるというのが利点になった。


そんな訳で、我が家の2人の娘の名前は、私のこだわりからすると完璧ではないかもしれない。長女は読みづらいし、次女は書きづらい。それでも私はとても気に入っている。


画数が良い名前を付けるだけで幸せになれるのなら世の中皆幸せになるはずだ。
しかも読みづらい長女の名前はそれなりに役に立った。小さい頃教材の売り込みの電話がしょっちゅうかかってきていたが、長女の名前を正しく読める人はほとんどいなかった。「○子ちゃんのお母さんですか?」と言われ、私はその度に「うちにはそういう名前の子はいません」と電話を切ることができた。


世の中、何がどう働くかは分からない。願わくば娘たちが自分の名前を気に入ってくれていたらいいのだが。小さい頃は、もっと可愛らしい名前がよかったのに、などと言っていた時期もあったな。今大人になってからはどう思っているのかな。
いや、それは聞かずにおこう。



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