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さらけだしあいっこ


私の職場では4月は人物大異動の時期である。転勤してゆく人たち、転勤して来る人たち。今年は特に異動の人数が多かったので、職場の雰囲気が変わってしまうかも(まだわからない)なぁ。元々女性が少ないので女性同士は仲良しだが、それでも誰と誰が特に仲が良いとか、誰と誰はあんまり喋ってるとこを見たことないとかは、ある。そんな中、普段よくお喋りをしていた女性2人組のうちの1人が転勤をしてしまい、数日経ちその残されたもう1人の人に私は問うた。


「仲良くしてた〇〇さんがいなくなって寂しくなりましたね」私が言うとその人は言った。
「はい、ええ、まあ、そう‥‥‥でもないです」
「え?」
「あ、もうハッキリ言っちゃお。そうでもないです」
「あ‥そういう感じだったんですね」
「はい。スッキリしています」


‥。あんなに仲良く毎日お喋りしてたのに。
「あぁ、まぁ、暇な時はお喋りする相手がいてよかったですけど‥まぁ‥ねっ」


転勤したほうの女性は少しわがままで自分中心なところがあったので、その人が言うことも分からないでもなかった。しかしもっと分からないのは、その人と私はそれほど親しくもなく、それまで話す機会もあまりなかった、そんな私にそこまでブッチャケて良いものなのだろうかということ。もう転勤しちゃって、いない人だから?いやいや、別にブッチャケる必要は無かったはず。普通に「そうですね」と応えれば終わった話。おかしなものでブッチャケられたことで私はちょっとだけその人のことを信頼できる人だと思ってしまった。もしかするとこの人は意外と“話せる”相手なのではないか、と。正しさのものさしという点で気が合うのではと思ってしまった。


それは当たっていた。というのも今年、とても厳しかった女性管理職も転勤した。私はその管理職のことをとても信頼していたのでホントに残念だったが、その管理職の厳しさに陰口をたたく人は少なくなかった。その管理職に関してその人はこうも言った。


「皆、怖いとか叱られたとか言って嫌ってましたけど、それは叱られるほうがルールを守ってなかっただけじゃんって私は思ってました」

「その通り」私は快哉を叫んだ。ホントにそうなのよ。女性管理職は、当たり前のこと(「常識で考えたらわかるでしょ」的なこと)が出来ないこと(人)に対して、見ないふりをせず、自分が悪者になってでも“世間での当たり前”を教えてくれていただけで、決して厳しすぎるとか難しいことを言っていたわけではない。


ズルする人が得をしない

それはまさに私のスローガンであり、それを実行してくれていた女性管理職に対しては「ずっとついていきます」的な信頼をおいていたのだった。そしてそれに同調してくれたその人に対しても、「お、わかってるね」的な同志のような感情を持った。


おかげで、私はその人に対して一足飛びに“仲良くなれる”気がしている。それもこれも、その人がよく知らない私に、良くも悪くも、感情をさらけ出してくれたからだと思う。さらけ出せるということは、逆に考えるとその人も私に対してある種の信頼感のようなものを感じてそうしたのではと思うのだ。お互いに、「この人になら話しても大丈夫」と思える、それは付き合いの深さとか長さとかに関係なく、なんとなく馬が合うとか価値観が同じっぽいなとか、まあ言ってみれば女の勘のようなものだ。勘なのでたまに間違えるけど、そんな時はそっと離れれば良い。



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