私がnoteを開くまでのこと
子どもの頃から、自分が「ちょっと変わっている」ような気がしていました。
じっさい、周りからも「ちょっと変わっている」ように見られて、居心地の悪い気分を味わった時期もありました。
「ちょっと変わっている」ことの何が悪いのか、と思いながら、キラキラしている同年代の人には、ひねくれた羨望を抱く青年期を過ごしつつ、いろいろな成り行きで福祉を学び、その業界でメシを食っていくことに決めました。
研究者としてメシを食えるようになることを目指して、奨学金を借りながら大学院に9年間も居ましたが、結局モノにならず、満期退学。
なんとか流れ着いた短大で、メシを食っていけるかなと思ったら、メシは食えても心が死んでしまいそうな環境だったので、1年で脱出。
残ったのは、奨学金という名の教育ローンの返済ばかりなり。
思い返してみると、研究者としてメシを食えることを目指すといいながら、研究という営みに対して真摯に向き合っているとはいえませんでした。
大学院在籍のかたわら、相談業務をとおして出会った子どもと、どう関係をつくっていくのか、目の前の子どもが背負っている生きづらさに対して、出会ってしまった人間としてどう向き合うのかということの方が、私にとっては切迫した課題でした。そして、その日々を通して学んだことが、自分の今をつくっていることに気づきました。
子どもと居る場に戻ろう。
そして今は、下町の一角で、診断名が付いたり付かなかったりする「ちょっと変わっている」子どもたちと遊びやおしゃべりに興じる、「ちょっと変わっている」おじさんとして過ごしています。
研究でメシを食うような人間ではなかったと悟ったのですが、生活していると、折に触れてわきあがる問いや気づきもあり、その時々に、ブログなどで綴ることはしてきました。
これまで綴ってきたこと、そしてこれから綴っていくことを、noteという媒体を使うと整理しやすいし、また、福祉について、子ども・子育てについて、政治についてなど、社会的なテーマに関心をお持ちの方にも読んでいただきやすいのではないかと思いました。
テーマごとに『マガジン』を用意しておりますので、お気軽に試し読みしていただければありがたいです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?