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嘘の口

「これは、嘘の口だ」
 と男は言った。
「何を言っているの? これはモヤイ像じゃない。だいたいあなたが渋谷のモヤイ像の前で待ちあわせをしたいっていうからここに来たんじゃない」
 と女は答えた。

「いやその」
 男は戸惑った。後先考えずに言ってしまったことに後悔をしていた。

「だいたい何? ローマの休日のパロディなわけ? 嘘をつくと口が閉じるのが真実の口だとしたら、本当のことを言うと口が閉じるとでも言うの? それで何? グレゴリー・ペックみたいにこのモヤイ像に手を突っ込んで、本当のことでも言うつもり? 本当のことって何よ? 「私を愛してる」とでも言うつもりだった? あー、そうなんだ。そうやって私を喜ばせようと思ったんだ。ばっかみたい。それでこの手を出すときに手をジャケットの中に隠して驚かせようとでも思ったの? そんなのみ~んな知っているんだから。もうみんな映画を見て知ってるんだから。もうみんなまるっとお見通しなんだから。私がオードリー・ヘップバーンみたいに驚くとでも思ったら思ったら大間違えなんだからね。せいぜいオードリーみたいに「へへへ」と笑うぐらいしかできないわよ。それに何? ベスパなんか乗ってきちゃって。だいたいあなたのその格好ね、丸いサングラスに帽子って、松田優作じゃないんだから。それでベスパに乗ったら「ローマの休日」じゃなくて「探偵物語」になっちゃうじゃない。あなたはいつもそう。口からでまかせばっかり言っているのよ。嘘ばっかり。嘘つき男」
 と女がまくし立てるように言うので、男は何も言えなかった。

「ほらもう、本当のことを言われて何も言えなくなっちゃてるじゃない」
 と女は言った。しかしその後、「はっ」と何かに気がついた。
「あ、本当だ。本当のことを言ったら口が閉じた。これが「嘘の口」ね!」
 そう言って、女は男の唇を人差し指で触った。

「でもこの「嘘の口」、私は好きだけど」
 と言って女は男の唇にキスをした。


 ロマンチックな休日。
 ローマン・ホリディだった。


おわり。



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