旅立ちの日に。

先日、おじいちゃんが天国へ逝った。
本当に一瞬だったらしい。
ずっとずっと自宅介護していた父は、祖父最愛の嫁と一緒に出かけていた。
ずっとずっとそばに居たのに、たった1時間だけ出かけていたそのときに、おじいちゃんは旅立ってしまった。
見送れたのはわたしの母だけだった。
「おばあちゃん来るまで頑張って」と泣いて声をかけたが、本当に一瞬で逝ってしまったらしい。
癌が再発し闘病中だったのにも関わらず、
痛がらず、眠るように、
あっという間に。

わたしは仕事中だった。
訪問看護師さんから連絡をもらったとき、言葉を無くすとはこういうことなのかと思うくらい頭が真っ白になった。
みるみるうちに涙があふれ、ようやくしぼりだした「ありがとうございました」は、途切れ途切れで、良い大人なのに冷静でいられなかった。
昨日、むりにでも会いに行けばよかった。

午後の仕事を終え、職場の人からもはやく行ってあげてねと声をかけてもらい、実家についたときは、母もおばあちゃんも、微笑んでわたしを迎えてくれた。
見届けられなかった祖母について事前に聞いていたので心配していたが、すこしホッとした。泣くだけ泣いたのか、頬が痩せていた。

眠るようにおじいちゃんはいた。
まぶたは2ミリ程度閉じきれていなくて、目頭にうっすら雫があった。
亡くなってから何時間も立っているのに、涙が浮かんでいるようにみえ、
一目みて、また起きてくれるんじゃないかと錯覚するくらい、きれいな顔をしていた。
この表現が正しいのかわからないが、本当に美しい顔で天国へ逝ったのだ。
ああ、おじいちゃん、
「がんばったね、昨日来られなくてごめんね、ごめんね、がんばったねおじいちゃん」
泣きながら顔をさするわたしの横におばあちゃんが立ち、眠る祖父の頬を撫で、「キレイに逝っちゃった。先に逝かせたくなかったよ。このひとと一緒にいれてばぁちゃん幸せだった」とまた大粒の涙をこぼした。

主介護者の父は冷静だった。
葬儀場の手配、身内への連絡などを全部済ませ、翌日の仮通夜ができるよう準備している最中だった。
2年位前から始まった介護生活は、皆がんばったけれど、入浴、着替え、移乗、せん妄など、一番そばにいて祖父の介護をしていたのは父だ。
おじいちゃんが夜中に起きるから、父もその度に起きてトイレにつれていったり、ベッドから転落しないように何時間もそばについて過ごしていた。
あまり横たわって寝られないから、座ったまま寝て、首を痛めていたのも知っている。
最期の最後に会えなかったことは誰よりもつらいだろうに。
泣いてもいいのに、もう次のことをすすめている父を思うと、胸が苦しくて、わたしのほうが泣きたくなった。
でもねお父さん。
これだけは自信をもっていえる。
お父さんのおかげで、おじいちゃんは世界一きれいな顔で天国に逝ったよ。
今まで仕事上何人かのお顔を見たことはあるけど、おじいちゃんの姿がいちばんきれいだよ。
お父さんのおかげだよ。
わたしは忘れないから。
だから、ねぇ、
落ち着いたら、ゆっくり泣いてね。

おじいちゃんに会いにきてくれた親戚は皆泣いていた。わたしの祖父は愛され、尊敬されていた。享年95歳。充分だと理解しているのに、まだ、どこかで生きてほしいと思う自分がいる。不思議なものだ。


3日後、風が強く吹いた朝。
たくさんの花と、わたしたちの涙を一緒にして、
おじいちゃんは天に昇っていった。
生まれて初めて見た人の骨は、
何本も太いものが残っていて、居合わせた親戚皆が驚いていた。
おじいちゃんの力強さ。
生き抜いた証。

忘れられない。
忘れたくない大往生をわたしは目にした。




あの日の夜、何気なく目を向けると、亡くなる2日前におじいちゃんへむけて贈ったブリザードフラワーがあった。
本当は次週が誕生日だったけれど、母から状態が良くないことを聞いて、注文したお花屋さんに相談し、急いで送ってもらったのだ(最短でも翌日発送が通常なのに相談したその日に発送して頂き本当に感謝しています)。
黄色とオレンジの花束。色は弟と一緒に決めた。「おじいちゃん、いつまでも大好きだよ。おじいちゃんの孫で良かった。元気でいてね」と添えて。
元気でいることが難しいのはわかっていたけれど、そう書かずにはいられなかった。
届いた日におじいちゃんに会いに行った。わたしは恥ずかしかったので、母が代理でメッセージを読んでくれた。おじいちゃんはほとんど話せなかったけれど、目頭に涙がじんわり浮かびあがった。それを見てわたしは涙が止まらなかった。
誕生日には間に合わなかった。
けれど、伝えたい言葉は間に合った。
それだけは本当によかったと思っている。