mitsu

推しと備忘録。

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最近の記事

KingOfStage,REN 2024

蓮くんʜᴀᴘᴘʏ ʙɪʀᴛʜᴅᴀʏ! 時間は有限だから、こうして毎年祝えることがうれしいです わたしたちはいつだって言葉を待っているけど、蓮くんはあまり語らない。いつもにこっと笑って、また音楽のなかに飛び込んでいく。 そんな蓮くんを好きになったから、いまはただ、ひたすらに祈ります。 届きますように。 彼のしてきた奇跡が大切にされますように。 蓮くんの音楽が、ステージが、たくさんのひとの未来に映りますように。 HappyRenDay

    • It all started with you.

      JO1 初ドーム公演おめでとう。 ステージから ぎっしり詰まったJAMは見えましたか? 満天のひかりは届きましたか? 初日は移動日で配信アーカイブ待ちです。 11月25日のオーラスはついに小さなひかりの一部になりました。11人が喜べたら良いなあと思いながら。 ドーム公演というものは こんなにうれしい気持ちになるんだと 初めて実感しました。 ⁡まさかの神席で手が震えました⁡。こんなことならコンタクトをちゃんと合わせておけばよかった。 11人が登場した瞬間、頭の中の何かがはじけ

      • 花が宿る日。

        誰かの誕生日を覚えるのは苦手なのに、11月10日は川尻蓮を知った日として忘れないようにしている。 1ヶ月程前にJO1公式が11人分SNSにあげてくれた画像に、それはもう情緒揺さぶられた。 これは非常にズルいと思った。 オーディション当時と同じポーズ+キャッチコピーなんて、もう、あの頃を思い出してくださいって言われてるようなもので、案の定 色々思い出して少し泣いた。わるい意味でも良い意味でも。 今だから言えることだけど、わたしは日プ後半からの視聴者だったので、とにかく蓄積し

        • 世界中から愛されますように。

          さやしい人たちFCのマネージャーさんの日記みて涙がでた。 彼女を囲む方たちがわたしたちと同じくらいの愛を持ってくれてるのがうれしい。 人生の絶対って、なんて素敵なことだろう。 鞘師の良さがたくさんの人に伝わりますように!! いやぜったい絶対、たくさんのひとに届く!!! わたしが同性の推しできるなんてほんとに考えられなかったんだから。 こんなに心を占める存在になったのはぜったい鞘師だからだって言い切れる。 これからも同性の推しは彼女だけ。 ずっとだいすき。 鞘師里保、生きと

        KingOfStage,REN 2024

          でも消えてくれない光

          BUMP OF CHICKENの歌詞がとても刺さる。 そしてそのたびに、この空間が壊れるにはまだ時間が必要だと実感してしまう。 ひとめみて これ以上ないくらいの衝撃を与えられてしまった そしてじわじわと 静かに 確実に 侵蝕されていった インドアの自分がなにかあれば飛んでいく おかねの使いかたが変化する 誰を見ても そのひとしか見えなくなる 「そこまで変わったの、すごいね」とまわりの友人は驚いていた 以前はそう言われてもふしぎに感じていたけれど 今はなんとなく理解できる

          でも消えてくれない光

          ダンスって歌うんだ、

          最近、定期的に冷たい風と片思いのMVを観ている。 卒業後から彼女を好きになったわたしは、当時のことは何も知らない。 想像するにも情報が足りない。 それでもはじめてこのMVを観たときは、まるでずっとそばに居たかのような、これまでの時間を表しているような、間奏で踊る彼女の姿に息をのんだ。 表情、目、髪、指とか。 柔らかくて、優しくて、なぜかほんのちょっとだけ哀しい。 これを「片思い」と名づけたことにも胸があつくなって、 ぽろぽろと涙がこぼれる。 誰かの歌で泣いたことは何度もあ

          ダンスって歌うんだ、

          JO1の紅白初出場を見届けた。

          2023年が始まってもう数日経った。 元日恒例の芸能人格付けチェックも観終わり、限界社会人の自分は、すでにつぎの出勤へのカウントダウンが始まっている。 休息と安堵、なぜかほんのすこしの恐怖。それがいつも通りの年明け。 ただ、今回の年越しが少しだけ違ったのは、大晦日、第73回紅白歌合戦に、JO1が初出場することだった。 この出来事は、思っている以上に自分の心を高鳴らせてくれた。 前日の夜から落ち着かず、自分が出場するわけでもないのに、1日中ソワソワして、高揚していた。 3年目

          JO1の紅白初出場を見届けた。

          人生初 鞘師里保のLIVE。

          夢から覚めても、いまだに忘れられない 鞘師里保ちゃんは存在していました、神さま グループを卒業したあとに彼女を好きになった自分は、まだ一度もパフォーマンスを目の前で観ることができなくて、 元々当選していたLIVEも直前で行けなくなってしまい、でもどうしてもどうしても今回のツアーは参加したくて、後悔したくない衝動で追加の仙台チケットを買いました。 ほんとによかった。決断した自分、よくやった。 それくらい夢見心地のLIVEでした。 ダンサーの方たちと作り上げたパフォーマンスは

          人生初 鞘師里保のLIVE。

          鞘師里保のUNISONが好きでしかたない。

          本当に本当に本当に好きで、願わくば、たくさんのひとに知ってほしいと願ってしまう。 この3rdEPにときめきすぎて泣くような曲じゃないのに涙がでてくる。 鞘師里保ちゃんがインタビュー記事等で語っていたけれど、 「今回は自分が歌いたいものを皆で作り上げた」 「すこしだけ自信が追いついてきた。過去の自分と一緒に進んでいこうって思えたEP」 という言葉とともに発表された”UNISON” 先行配信1曲目の We The Ones を聴いたとき、心臓が飛び跳ねた。あまりにもかっこよく

          鞘師里保のUNISONが好きでしかたない。

          DAYBREAK

          ずっと待っていた、鞘師里保ちゃんの「ただいま」 1秒目から大好きな曲。鞘師の心についてすこし知れたような気がして、涙が止まらない。 おかえり、おかえり、おかえりなさい。 たくさんの鞘師をみせてね。 さやしい人たちが、ずっと愛を送ります。 一緒に居させてください。 昨日と今日は、きっと忘れられない。 こんな幸せな夜明け。

          革命

          数々の記念日ではなく、今日書きたくなった。 「Monthly Artist File THE Voice」というラジオで、川尻蓮くんが紹介していた「革命」(MOROHA)という曲。歌というか語りというか魂のかたまりだった。 わたしは最初、蓮くんをはじめてみたとき、笑顔があまりにも優しくて優しくて、 「なんだか蓮くんって、何かいっこ大きなものを乗り越えているようなひとだなぁ」と そんなことを思っていた。 だから、今日のはなしは、そのときの情景を少し知ることができたみた

          すべてきみのおかげ。

          ちょうど1年前のこの日、突然そのひとは眼前に現れた。 これをみてほしい。 (オーラヤバくない?) このオーラやばい方が、わたしが未来を見たと力説したい、JO1(ジェイオーワン)の、川尻蓮(かわしりれん)くんである。 驚くのが、このときはまだデビューしていない一般人だということ。 さらにこれをみてほしい。 (ギャップヤバくない?) そう、川尻蓮は、ステージから降りた瞬間、少し高めの声で、JAM(JO1のファンネーム)を楽しませるために、フラワーソープを作ってしまう

          すべてきみのおかげ。

          One and Only

          わたしが出会ったとき、彼女はすでに遠い外国へ行っていた。 たくさんの奇跡と思い出を残して。 彼女が卒業して、3年も経った、2018年の出来事。 鞘師里保。 元モーニング娘。の9期メンバーであり、 2011年に加入してから卒業する2015年まで、エースでセンターを務めていた。 といっても、タイムリーな活躍はほとんど知らない。 ただ、2014年あたりから、メディアで何度も「新生モーニング娘。」という言葉を聞いたことは覚えているし、彼女にハマる前からも、モーニング娘。の恋愛ハンタ

          One and Only

          キャラメル・ソング

          11月3日。 嵐のデビュー日。 ファンにとって大切な記念日。 わたしは嵐のファンクラブには入っていない。 意図的に入らなかったわけではない。デビュー当時、学生だったわたしは、ファンクラブという存在を知らなかったし、お金もなかった。大学生まで携帯を持っていなかったため、モバイル限定のコラムも手に入らなかった。コンサートに行けない代わりにたくさんのファンのレポートを読んだ。 なんとか自分で稼げるようになったときには、彼らはすでに、手の届かないところまで高く飛んでいたため、なんと

          キャラメル・ソング

          旅立ちの日に。

          先日、おじいちゃんが天国へ逝った。 本当に一瞬だったらしい。 ずっとずっと自宅介護していた父は、祖父最愛の嫁と一緒に出かけていた。 ずっとずっとそばに居たのに、たった1時間だけ出かけていたそのときに、おじいちゃんは旅立ってしまった。 見送れたのはわたしの母だけだった。 「おばあちゃん来るまで頑張って」と泣いて声をかけたが、本当に一瞬で逝ってしまったらしい。 癌が再発し闘病中だったのにも関わらず、 痛がらず、眠るように、 あっという間に。 わたしは仕事中だった。 訪問看護師さ

          旅立ちの日に。