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森に棲むもの

次男であった父は、生家に近い山の一部を買い、そこを開拓して居を構えました。もとは山であったため、敷地の中には坂道もあれば沢も湧いていました。私がそこで暮らしたのは小学校1年生までで記憶は薄いのですが、沢には山椒魚もいたそうです。
敷地の入り口から緩やかに続く坂道を登り、小高い場所に建っていた我が家。日中は鳥がさえずり、日が落ちれば辺りは闇夜に包まれます。そして、見上げればすぐそこには満点の星空。大きなコブシの木、そして山桜が咲く庭・・・。
今回は、そんな自然豊かな環境で暮らしていたときの、姉たちの体験談です。

夕暮れ前の畑で

父が山を買った理由は、そこで酪農をするためでした。当時の我が家は、ふもとから少し登ったところに畑、その先は未開拓の部分がやや残っており、その上が牛舎、坂を登りきった正面に住居という配置になっていました。坂に入る手前の平地も少し持っていたようで、そこには、何かに使った木材を置いていた記憶があります。

ある日の夕方、上の姉は母の言いつけで畑に向かいました。夕食に使う野菜の調達です。
畑へ行くには、徒歩で数分はかかります。姉は当時、中学生くらいだったようです。まだ明るい中、上の姉は緩やかな坂道を一人で下って行きました。

当時、我が家が坂の「中間地点」の目印にしていた柿の木を過ぎれば、いよいよ畑が見えてきます。そこから先は、視界を遮る樹木も藪もありません。畑も一望できます。母に頼まれた野菜はどの辺かと、畑を見渡した姉は妙なものを目にしました。

季節は、ほどよく暖かい時期。畑には、日中掘り起こしておいたじゃが芋などがまだ積み重なっていたそうです。その芋の山の辺りに何かが動いていました。
不思議に思ってようく見ると、どうも人です。普通の人の様相ではなく、野性味のある非常に大柄な男性。見たこともない、原始人のような男性が地べたに座り込み、じゃが芋を頬張っていたと言います。

あまりの恐ろしさに、そっと後ずさりした姉。藪で見えなくなったところで一目散に坂道を駆け上がり、自宅に戻ったのでした。

近所の桑畑で

そして、下の姉も違う時期に近所で妙なものを目撃したそうです。それは、当時の我が家から2軒離れたお宅の敷地でした。
母とそこのおばさんは仲が良く、用事のついでにお茶を飲みながらおしゃべりに興じるのが楽しみの一つ。姉も、母に付いて一緒に行くことがあったそうです。何歳の頃なのかよくわかりませんが、小学校低学年の頃だろうと思います。

母とおばさんがおしゃべりに夢中になっているうち、退屈になって外に出た姉。当時、そのお宅には桑畑がありました。そこに植えてあった桑の木の正確な高さは知りません。大きなものは10メートルにも及ぶようです。ただ、私の記憶では、そこの桑畑はもっとずっと低いものでした。
そのお宅に植えられていたのは、小学校低学年くらいであればすっぽり隠れる高さ、大人なら立ったまま手を伸ばして枝をはらえる高さといったところでしょうか。

姉が庭先からその桑畑を眺めていると、桑の木よるはるか高く突き抜けた大きな人が目に入りました。
(あれ、何だろう?)
と思いながら目で追っていると、その大きな人は桑畑の奥に広がる森へすっと消えていったそうです。

開発で消えた森

私が小学校に上がる頃、その辺り一帯にゴルフ場開発の話が持ちかけられました。当時、うちも含めて酪農を目的に移住していた世帯は何軒かありましたが、どこも経営が思わしくなかったようです。
そこに出たゴルフ場開発の話。全世帯で話し合い、開発を受け入れて会社員へと転向しました。我が家も土地を売却したり借地にしたりして、違う場所に移りました。

ですから、現在はもう大きな人を目撃した森はありません。
両親も含め他の家族はまったく見たことはなく、目撃者は二人の姉だけです。もしかしたら誰の目にも見えるものではなかったかもしれませんし、正体はわからないまま。
上の姉が見たものは、今でいえばホームレスのような人だったようにも思えますが、大柄、普通の様相ではないという点は共通しています。ホームレスなら、そもそも、あんな山奥までさまよって来るものなのでしょうか。近所の人の目にも触れずに・・・。
だいだらぼっちのような、森に棲むものだったのかなと考えることもあります。






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