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そこはかとない日々 1

川上弘美(敬称略)の文章が好きだ。やわらかくて豊かなぬくもりがあるから。川上さんの文章を読んでから、日本語の美しさを知ったような気がする。漢字、カタカナ、ひらがな、かたちは思っているよりも、ことばにたくさんの意味を持たせる。

例えば、「心」「ココロ」「こころ」

単語ひとつとっても印象はまったく違う。

漢字は形からしていかにも心臓、という感じがする。両手で抱えて温めたくなるような、大切にしなければならないという、すこしだけ真面目な印象だ。

カタカナは「ココロ」だからだろうか、コロコロしている感じがする。ちいさくてポップな印象だ。ウキウキしている。気分が上がっているのかもしれない。

ひらがなはやっぱりとてもやわらかい。「こころ」は穏やかな気持ちなんだろうな、と思う。ひらがなはどんなことばもベールに包んでしまう。ひらがなは安心する。絵本や幼児向けの本があたたかいのはひらがなが多いことも起因しているんだろう。

わたしはひらがなが好きだ。(本当は好きもひらがなにしたかったけれど、あまりにもひらがなが多くて、読みにくいのでやめた。)

もしかしたら、世の中には漢字の起源や成り立ちをきちんと理解して、書かれている文章が溢れているのかもしれない。それなら素敵だな、と思う。しかしながら、今日もわたしはそんな気遣いには気づかぬまま文章を貪っている。

ことばにこだわるということは、自分の意思を大切にすることと同じな気がしている。ことばはいつも精神と肉体の間にいて、こころとからだを繋ぎあわせている。時々、わたしの精神はことばを通して、肉体に訴えかけているときがある。「疲れた」ぽつりと口にだしてみる、すると途端に疲れてくるのだ。

以前、言語化するとほんとうの気持ちがわかると言った友人がいた。たしかに彼女はいつも自分の気持ちをたしかめるように、話をしていた。マシンガンのようにことばを放ったあとは決まって、「わたしこんな風に思ってたんだ」と言って、笑った。

川上弘美の作品に『ざらざら』がある。さまざまな恋愛模様を描いた短編集だ。わたしはこの一冊で、彼女に夢中になってしまった。日常は満ちていることばかりじゃない。擦り減って、少しだけ淋しくもなる。それでも彼女が言葉を並べると、そんな日々も悪くない、と思えてしまう。

欠けているから、毎日はやさしくあたたかいと教えてくれるのだ。

それから彼女の作品を読み漁っているわけだが、彼女のエッセイ集である『なんとなくな日々』に出逢った。飾らない日常をやっぱりすこしだけ豊かに描いている。そういう日ってあるよな、と思っていると、そういう風に締めくくるのか、と感銘を受けるばかりだ。

話は変わるが、オリオン座はすべての星がおなじ場所にあるわけではないらしい。地球から見る角度の関係で、たまたまあの形に見えるのだという。なんてロマンティックだろう。モノの見方がたくさんあるということは、それだけ豊かになれるということだ。

きっと川上さんも物事をいろんな角度から丁寧に見ているんだろう、と思う。現実は小説よりも奇である日々ばかりではないけれど、ちょっと豊かに締めくくれたらしあわせだ。

川上さんのような書き手になれたらいいな、と思いながら、わたしもそこはかとない日々を重ねたいと思うわけである。タイトルはちゃっかりあやかって。


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